ブログ
Blog

スタッフという職業のおもしろさ。

  • 投稿日:2018年10月31日
  • カテゴリー:ブログ

子ども達との日常会話。



現在常時スタッフを募集している八ヶ岳サドベリースクールですが(スタッフ募集ページ)、スクールの知名度がまだまだ至らないとか、田舎で周りに人が少ないとか、給与面が充実しきれていないなど、継続的に検討していく色々な課題はあれども、最近スクールで出た話ではそもそもスタッフの仕事内容がわかりにくい、何が面白いかわからないから応募しようにも動機足り得るものがないのではないか?という会話の流れから、スタッフの仕事の楽しさや面白さをアピールしたらいいんじゃないかという意見があったので、今回は現職スタッフとして考える「スタッフという職業のおもしろさ」について普段の様子を交えながら書いていきます。

 

騙し合い読み合いの人狼ゲーム。



1.子どもと対等に関われる

ある日、5歳の男の子がトイレに入っていて「かずまー!きてー!みてー!」と叫んでいました。僕はよくわからなかったので「どうしたん?」とその場で聞いたら「とにかくきてー!」と言うので、行ってみたら「おしりふけてるか見て」と言われます。低い姿勢になって下からお尻を覗き込むのは少し抵抗があったので「覗き込むのは微妙やから、もう一回拭いて拭く位置が合ってるか俺が見てて、それで拭けてるか確認するのはどう?」と提案し、その子は提案に乗って拭けていることを確認したら、またどこかへ遊びに行きました。年齢に関係なく関わるサドベリーでは、こんな日常があります。

別の日、生徒の子と車で移動していたら、窓を開けて大声で叫ばれることが。それが嫌だったので「俺の車で叫ばれるのは嫌やからやめてくれない?」と言うと「何が嫌なの?かずまが乗っていいよって言ったわけじゃん。別に他の人になんか言われたらちゃんと謝ったりはするよ。」と言われます。確かに、大声で叫びたい人の気持ちも考えると、その人を自分の車に乗せた時点で、程度は都度話し合うとしてもその人の言動を受け入れる必要はあるし、そもそも自分が何が嫌なのかは考えず探らずに発言していたなぁとか、自分の車に他人を乗せた時点で車を自分一人の物と思うのは(命を預かりハンドルを握るという観点からも)勘違いだったと思ったり。

子ども達と一人の人として対等に関わるサドベリーでは、「相手を尊重する」とか「対等に関わる」という、人間関係において最も大切なことを考える機会がたくさんあります。

 

スタッフ立候補プレゼン。自分に何ができるか、生徒の子達にアピールします。



2.社会のあり方を考えられる

スクールという小さな社会を自分たちで自治するサドベリーでは、たとえば掃除をするかしないかから話し合えます。ミーティングで掃除をすると決めて日々こなしていたある日、生徒の子が「今日はめんどくさいから掃除しない」と言っていたことがありました。そこに居合わせた自分は「ルールで決まっているのにやらないのはミーティングで話し合って決めた意味がなくなってしまう。ルールがおかしいなら変えるにしても、きっちり守った上であらためてミーティングで検討するべきではないかな。」と意見をしたり、必要と思えばルール変更の議題を出すこともあります。

お泊まりのイベント中は、サドベリーでは「何時に寝なさい」なんて言う人はいないので、早寝する人もいれば遅くまでワイワイ盛り上がっている人もいます。あるとき「寝たい人の自由も尊重してほしい」という訴えがミーティングに出て、何時から何時まではこの部屋は寝る人優先と、時間帯によって住み分けをすることが決まりました。その際に起きていたい人の自由も尊重しようと、夜の時間に音を出していい部屋を作れるかどうか、また近隣住民への配慮の必要性についても話し合われました。

スタッフの仕事は、一つは目に見えやすい部分で日常的に子ども達と遊んだりミーティングで話し合ったりすることや、話し合って決まっている業務的な部分(経理、事務、広報など)。もう一つはスクールの理念を守ることがあると思います。「一人ひとりを尊重する、民主的に話し合う」ことに尽きるのですが、上記のように自由のぶつかり合いが起こったときにも、誰かの意見や価値観がないがしろにされていないか、本当の意味で目の前の一人ひとりを尊重できているかが、サドベリーでは決まった手法があるわけではないからこそ、生徒とスタッフで共に担うことですが、常にスクールとして「社会のあり方」が試されていると思います。

一人ひとりが自由に活動ができるサドベリーですが、一人だけの自由(好き勝手)はもう一人が居る時点で終わります。「何事にもいい悪いはない」というベースはあっても、社会としてどうあるべきか?を自分たちで考えて決める必要性が往々にして出てくるのです。

 

雪に埋められることも…



3.常に自分を問われる

スタッフの存在意義については、スクールを見学に来る人の中ではわかる人とわからない人がいます。従来の学校の価値観で見ていると「あの人は何も教えていない」かのように見えるのは理解しますが、本当に何もしていないだけではスタッフの仕事は到底務まりません。おそらくそんなスタッフは子ども達に来てほしいと思われないし雇われなくなります。「スタッフはただ何もしないだけでしょ」なんて思う人は何もわかっていないのです。

あらゆる出来事や目の前の人の言動に対して、自分の中に「何がいい・悪い」と思う偏見があることが浮き彫りになります。多種多様な子ども達と関わる上ではまず自分の偏見を認めてさらけ出したり、相手を受け入れるために、ときには自分の大事にしている価値観であっても変化させる必要があります。スタッフの仕事に必要となれば今ままで知らなかったことを学ぶ姿勢も。

日々、日々、学びがあります。こんな常に学ぶ生活を続けていると、生きた年数的には年をとっても、心も体も若くいられるような気がします。

そんなサドベリースクールに毎日いると、自分は何がしたいのか、自分がやっていることは本当に最善であるといえるか、など、常に自分の存在を根底から問われているような感覚があります。それをあえて見ない・見えないフリするのはスタッフとして相応しくないと思うので、自分はよく「餅つきのように常についてほぐしてつく、つかなければ凝り固まるもの」と言うのですが、とことん自分自身と対峙して誤魔化さず、整えていなくてはいけないと思います。

 

IN東京。外部のイベントに生徒と一緒に出ることもあります。



4.他の社会でも必ず役に立つ経験

スタッフの経験は、スクール以外の社会にいるときにも影響します(逆もそうですが)。他の会社や家族、友人や趣味の集まりに至るまで、どんな社会においても人間関係は肝心なところ。サドベリーでの社会のあり方を常にみんなで考えていく姿勢や、その社会の中で自分が何を考えてどのように立ち振る舞うかという日々の経験値は他の社会においてもきっと役に立つもので、もちろん第一に子ども達の学びや成長をサポートする仕事ではありますが、今後どんな人生を歩むにしても自分を大きく成長させてもらえる仕事だと思います。

 

あとがき:少し長くなりましたが、この記事を読んでいただいてスタッフの仕事に興味を持たれた方は、ぜひ一度スクールの日常を見に来ていただけたら嬉しく思います。実際の雰囲気を体験しなければわからないものが確かにあります。今後、サドベリースタッフの仕事が広く社会的に一つの職業選択肢になっていくことを願います。(スタッフ・かずま)

 

 

[`evernote` not found]