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恐怖の不在~①権威性のなさ~

  • 投稿日:2018年08月30日
  • カテゴリー:ブログ

戦略を考えながら遊ぶボードゲーム♪



サドベリーでは何歳であろうが立場に関わらず対等に関わります。誰かが「ここが汚いからみんなで掃除をしよう」と言っても、汚いと思ったのはその人の価値観なので他の人が汚いと思わなかったり掃除を面倒と思えばそれも同じように尊重され、スクール(社会)として汚いか掃除をするべきかどうかを話し合います。恐怖がない、つまり権威性がないともいえます。今回はそんなお話です。

広い校舎一面に電車を走らせます。



「そんなことしてたらまともな大人になれないよ」と言う人がいます。既に保育園や幼稚園から「ちゃんとした小学生になる練習だよ」とも言われます。

まずもって「恐怖=まともな大人になれない、小学生になれない」を植え付けてその恐怖を鎮めるためならばと、日々頭ごなしに怒られたり本当に意味があるのかなんて関係なく将来のためにと勉強をさせられる等、ある意味残忍なことが正当化されていきます。会社などで「残業がない会社なんてないんだから」とサービス残業が横行するのもそうかもしれませんが、親や先生、上司の言うことを守らねばならないという法律があるわけではないのに、逆らった場合の恐怖が存在するから従うということが少なくないと思います。

卓球の練習!



サドベリースクールを考える上で、この「恐怖の不在」は非常に重要なポイントです。スクールを見学に来てこれに気付く方と気付かない方がいますが、子ども達は見ず知らずの来訪者(大人)を何も恐れてはいません。それは普段から異年齢の生徒やスタッフ達と権威性を頼らずに一人の人間として対等に関わっているからです。人と人として対等に関わることの価値を、多くの場合大人よりも子どもの方がずっと鋭く言葉にはせずとも感覚的に理解しています。

恐怖が存在する環境に慣れきってしまうと恐怖の無さに逆に不安を感じて「遊んでばかりで大丈夫なのか、将来は大丈夫なのか」と無意識に恐怖(権威性)を探してしまいます。不安を正当化したい人は「上下関係の厳しいタフな社会でやっていけるのか」と言ったりもしますが、サドベリーを出て社会人になった人達はそもそも恐怖を土台にしていないので、その恐怖とすらフラットに向き合っていく姿勢があります。

大量の球を連続で打つ練習です!



少難しい話になってきたかもしれませんが、大事なことなので続きの記事も書きたいと思います。今回の記事では「サドベリーの子ども達は見ず知らずの来訪者(大人)を何も恐れてはいない」という権威性のなさがサドベリーの恐怖の不在を理解する上では目の前にある最大かつ最適の教材だということがわかると思います。これからの移り変わる世の中で、知らない人や新しい文化を恐れていないということ自体が彼・女らの糧になっていくのです。

(スタッフ・かずま)

 

 

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