ブログ
Blog

遊びたい!は学習意欲そのもの。

  • 投稿日:2017年05月15日
  • カテゴリー:ブログ

 

先日新しく入学したい子が「サドベリーに入学したい。遊びたいから。」という希望をスクールミーティングに出していました。もっと具体的に聞かせてほしい、サドベリーのことを理解しているのかどうか、家ではなくサドベリーでなくてはならないのは何故か、等の質疑応答の末に承認されましたが、今回は子どもが遊びたい!と思うことについて少し掘り下げて書きます。

 

遊びたい!と思うことは、算数をやりたい!国語をやりたい!と思うのと全く同じことです。料理をしたい、スポーツをしたい、ただボーッと何か考えていたい等、何でもそうですが、今自分が最も興味があることに取り組んでいたり、やりながら立ち止まりながらそれが何なのか考えているのです。上手くいくときもいかないときも含めて、経験すべてが学びなんです。

「学習」「勉強」という言葉からは小中学校で習うような教科の学習をイメージしがちですが、例えば、TVゲームが楽しくてずっとしていて本人は遊んでいると思っていたことが将来クリエイターの仕事をすることになって知らないうちに学びになっていたことに気付いたとか、漢字が好きすぎて本人は楽しいだけでやってるつもりが周りから見ればとてもよく学習しているように見えるとか、みんなでサッカーをして遊んでいる中で楽しいからやっているだけの子がいたり本気でプロの選手になるために本人にとってはこれも勉強だと思っている子がいたり。。。子どもの数だけ学び方も多種多様です。

そもそも何が学びなのか学びでないのか、他人が定義や評価をすることはできませんし、本人のことは本人にしか分かりません。読み書き計算や礼儀やマナーなど、生きていく上で最低限必要なことは教えるべきではないか?と思われる方もおられますが、その人にとっての最低限もその人にしか分からないんです。

小さいうちからサドベリーに通っていて一度も公立の学校には行っていない子も増えてきています。その子達に話を聞いていてもサドベリーを出てから進学や就職をする上で学歴が問題になることはありませんし、日本人の大半の子が経験している小中学校を経験しないからといって何かが欠如しているなんてこともありません。

 

サドベリーは何歳だから何をしなければいけないということはないので、皆が何ができるかできないかは調べたこともないですがおそらくてんでばらばらです。

例えば、文字を読めないままに大人になるということも本人が望めばあり得ることですが、自分が読む必要がある思ったときに読めるようになるところは皆共通しています。他のこと、礼儀やマナー等も同じく生きていく上で自分にとって必要だと思ったら手にしていきます。

 

人は自ら学びたい・必要だと思ったときに最もよく学ぶものです。これは子どもだけでなく大人になっても同じように自分の夢を追いかけたり興味があることを深めたりはできるもので、人は何歳になっても死ぬまで学びの途上なのではないでしょうか。

 

(スタッフ・かずま)