ブログ
Blog

「遊び」について。

  • 投稿日:2016年10月28日
  • カテゴリー:ブログ

KIMG1045
最近のスクールでは、モノポリーやカタンというボードゲームが流行っています。ご存知でしょうか?

土地を買ったり、資源、資金を獲得して、一定のポイントに達しら勝ち、破産したら負け。のような様々なルールがありますが、どちらも他のプレイヤーとの「交渉」が肝のボードゲームです。

だまし合いの人狼ゲームなども人気です。これも高度な「交渉」や「演技」のテクニックが求められる遊びです。

 

スクールを見学される方が、「サドベリーの生徒はあらゆる遊びの場面で、経験があって上手な子が初心者の子に教えて、同じようなレベルになってから遊ぶ。ということを誰に何を言われずとも自然と行っているのが不思議だ。」と仰ることがあります。僕自身が西宮サドベリースクールに通っていた頃にも、見学の方に「なんで教えたの?」とか聞かれたことがあって、そのときは何が不思議なのかもよく分からなかったですけど…笑

あらためて考えてみると、遊びの目的が「楽しむ」ということを本当に突き詰めているからなんじゃないかなと思います。もちろんゲーム自体の目的は勝つことだったりはするんです。でも一人が勝ち続けていても面白くはなくて、勝つか負けるか分からない中で本気で遊ぶたまらないヒヤヒヤ感と言いますか…結果が予想ができちゃったらもう楽しめないんですね。そのために誰もが勝ち得る状態を自分達で作るんです。すべて既存のルール通りにではなく、ときにハンデを付けたり、独自のルールを作ったりもします。

例えば、遊びの目的が「勝つ」ことだとしたら、勝てそうな相手としかやらないですよね。相手を育てることもしません。ルールに固執したり、自分が勝つためにズルしちゃうとか。それも一つの遊びですが、本当に楽しいのかなって思います。そもそも誰かにやらされている遊びだとか、何か自分の人生に不満があるから誰かを打ち負かして発散したいとかでしょうか。そう考えると、勝つことだけにこだわり過ぎているというのは少し不自然です。それはもはや、遊べていないではないかとすら思えます。

与えられる遊びと、自ら作る遊びの違いなのかもしれません。どちらが楽しいのかは、歴然です。

 

僕は趣味で草野球をやっていますが、試合で勝つことだけにこだわりすぎると、面白くなくなってきます。でも、どうやったら勝てるのか?という意識も必要だということも分かっています。

これはサドベリーの子だからこういう遊び方をする。っていうわけでもなく、遊びの本質をそのときたまたま捉えていた。というだけだと思っています。負けて死ぬほど悔しかったり、勝つことだけにこだわる時もあるでしょう。

どこまで、どのように、こだわるのか?
これを自分達でコントロールできているから楽しめる。
というのが、一つの答えなのかもしれません。

 

「遊び」というと、「勉強」や「自然体験」などの経験よりも、価値が低いものとして見られがちですが、サドベリースクールの考え方としては、遊びも勉強もスポーツもおしゃべりも、何もしていない時間にすら、優劣はありません。その経験から何を学んでいてどのように活かしていくかというのは本人のことで、他人が把握はできないし、どうこう言う権利もないのです。

このようにいろんな視点から目の前の出来事を見てみると、楽しむことを突き詰めていく「遊び」の中には無限の創造性が詰まっていると考えることもできるのではないでしょうか。

(スタッフ・かずま)

 

[`evernote` not found]