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人をジャッジするのではなく自分を見る

  • 投稿日:2020年02月19日
  • カテゴリー:ブログ

今回のブログはそんなに長い文を書かないかもしれません。

もともと徹夜して手掛けた超長文の記事があったのですが、その努力をボツにしてまで書きたいことだったので書きます。

これは普段からの僕の癖というか考え、思考みたいなものなんですけど

僕は何に対してもまず最初にジャッジしたり、人を判断したりしていました。

 

例えば、スクールで誰が備品を壊してしまったとして、

そのことについて話し合うとしたら、僕はまずこういう考え方からはじまると思います。

「誰が悪かったか、じゃあその悪かった人にはどう責任を取ってもらうか、壊れたものはどうするか」

これは僕はいつどんな時でもやっている考えです。

初めて会う方などにもまず、「この人はどんな人間か、性格はいいのか悪いのか」とかが最初に会った時にかならず思うことです。

 

そしたら先日母から、

お前は周りのことは、よく見てるけど自分を一切見ていない。外側をジャッジする前にまず内側(自分)をジャッジしろ。そんなやつのとこには人は寄って来ない。

的な事を言われました。実際はこんな言い方ではありませんでしたが、事細かくなんと言っていたかまで覚えてないので僕が勝手にアレンジしました。

その時はまだピンと来ていませんでしたが後になっていくにつれてなんとなくわかってきました。

人ではなく自分

僕の中の名言に追加

つまりどんなことに対しても、自分にもできたことできることがあるのではないか。

じゃあこれから僕はどうしていこう。

どうするべきだったか。

など自分の内側を見る目も必要だなと思いました。

 

これは決して世界は俺が中心で回っているという意味ではありません。

これは人から聞いた話です。

その人の仕事場にはいつも人をジャッジし議論をしたがる人がいるそうです。

そして人には厳しく自分には甘いらしく、自分の机は汚いのに人の机が汚いと吠えるそうです。

みんなは面倒くさいので反論もせず、はいはいと言って、言う事を聞くそうです。

人をジャッジすればするほど人は、はいはいと言って言う事を聞かす事はできるかもしれない。

けど僕はそんな薄っぺらい人間関係を作りたいとも思わないし、そんな人生を歩みたいとは思いません。

しかしその外側をジャッジする思考でいると、そのうちその人みたいなるなと僕は思ったので、少し考え方を変えて自分にも焦点を当ててみようかなと思いました。

自分が変われば周りも変わる、という言葉があるんだからきっとそうなんでしょう。

 

けど、物事やりすぎるのもよくないし、やらなすぎるのもよくないと僕は思うので、ほどほどがいいのかなと思います。

 

この記事を読んで勘違いされる方がいるかもしれないので一応言っておくと、ジャッジすることが悪いことというわけではなく、自分の事をおろそかにしているのに他人ばかりジャッジするのが良くないと言いたかったのです。

 


私の好きなこと

  • 投稿日:2020年01月24日
  • カテゴリー:ブログ

こんにちは!
1月後半のブログ担当になりました。二郎です!

ブログを書くのが初めてで何を書けば良いのかわからなかったので、ただ私の好きなことについて書いているだけですが、それでも良ければぜひ読んでいってください!

私は鶴を折る事が好きです。
暇な時は、紙さえあればその紙で鶴を折ったりしています。

ただ普通の折り紙で折るんじゃなく、折り紙を小さく切ってその小さくした折り紙で折ってみたり、お菓子の包み紙で折ってみたり(※あまり衛生的ではないのでやめた方がいいと思います)使わなくなった紙で折ってみたり…普通の折り紙で折るんじゃなくて、ちょっと工夫をして、折り紙も含め色んな紙で鶴を折るのが好きです。

よく鶴を折ると言っても、めちゃくちゃ綺麗に折れたりするわけでもなく
折るのが好きだからひたすらと折っているだけです…笑
綺麗に鶴を折れた時はそれはそれでとても嬉しいです。

鶴を折る中でも私が一番好きなのは、どれだけ小さい鶴を折れるかです。
細かい作業はあまり得意な方ではないのですが、このどれだけ小さい鶴を折れるかについては、小さい鶴を折れれば折れるほど、心の中で、ものすんごい喜んでいます。
はっ!!!こんなに小さいの折れた!!前よりも小さい…!!という感じに…

そして最近は千羽鶴を作ってみたい…!!と思っています。
鶴を千羽折るのは大変かもしれないけど、千羽目の鶴を折り終わった時の達成感はすごそうです…!
と言っても、家に千枚折り紙がないのでまずは折り紙を買うところからなのですが…笑
折り紙を買ったらちまちま自分のペースで折って行きたいと思います*ˊᵕˋ*

いつになるかはわかりませんが、完成した時は日々発信にでも写真をあげたいです…!

1月のブログは前半、後半どっちとも生徒が書いたブログとなりましたが
内容が全く違うものとなりました。ブログを書く生徒によって内容が異なってくると思うので、これから他の生徒がどんなブログを書くのかなぁ、と個人的には楽しみです…!


何をしたいのか、何をするべきなのか

  • 投稿日:2020年01月22日
  • カテゴリー:ブログ


今日は生徒としてスクールで学んだ事、、、スクールに来てから変わったことかな?

変わった事はたくさんあるのですが、今日はその中で一番変わったかなーと今思っている事を書きます。

このスクールに来てまだ一年たたないぐらいの時の自分は自分がスクールで今どういう活動をしているかなんて、あんま考えずにスクールに通っていました。

スクール外の時も行動の一つ一つに意識をちゃんと持ててない時も多々ありました。
選択肢に迫られるとよくどっちでもいいに逃げたりもしてました。

つまり僕は自分が何をしたいのか、どうするべきなのか、をあまり考えずにいました。
なのでやりたい事が出てきても↑をちゃんと考えていないので長続きすることはほとんどありませんでした。

そして、そこから少しづつ変わってはいましたが、そこまで大きな変化があったとはいえない感じのまま去年、スクールが260万以上の赤字になっている事に気付きます。
流石の僕でもこれはヤバイと思いました。そしてなんとかしようと思いましたが、
どうしたらいいかがわかりません。
わかるはずがないでしょう、今までそういう事を考えてきてなかったのだから。

そしてスタッフの助けをもらいながらなんとかちょっとづつ赤字を減らす対策を考えていくうちに、自分がもっとちゃんと運営に関わっていればこんな赤字にならなくて済んだのにとか、もっとやりたい活動を目一杯やりたいとか思ったりしていました。

しかし過去にすがっていてもしょうがないなと思ったのでこれからどうするかを考えていました。

そして考えていくうちに八ヶ岳サドベリースクールは1人1人が変えていける学校なので、その1人1人が変えていかなければ何も変わらないまま進んでしまう。
変わらないのが悪いとは思いませんが、260万の赤字が出たとしてもみんな誰かがどうにかしてくれるとか、自分は関係ないとか思っているとスクールは潰れてしまいます。潰したいのならまた別の話。
自分が動かないと変わらないとはまさにこの事なんだなと思いました。

今までは、動かなきゃ変わらないというのは、「綺麗事やん笑」とか馬鹿にしていましたが綺麗事様様でした。

それからというもの、その動かなきゃ変わらないからまず自分が何をしたいか、何をするべきかを考えていましたがこれ結構難しいです。

何をするべきかは常識という杖があるため意外と簡単かもしれませんが、自分が何をしたいかをよく考えて行動するのは本当に難しいです。

僕は本当に自分のやりたい事だけを社会に認められながらやっていくのは東大に入るよりか難しいと思っています。っていうのは全く関係のない話なので忘れてください。

早くも結論に行くと、僕が八ヶ岳サドベリースクールで学んでいることは、

これからのことや、今起きている事、今までの事など色々考えながら自分は何をしたいのか、するべきなのかを考える事です。

人って毎秒毎秒の選択肢に迫られていると僕は思っているので、これを考えることに慣れていけば、これからの人生にとても役立つと思っています。








本当に今の自分のままで大丈夫なのかな?

  • 投稿日:2019年12月24日
  • カテゴリー:ブログ

「辺りは一面雪景色なのに、室温16度で暖房をつけませんでした。」



12月後半のブログは、生徒スタッフによる持ち回りで担当を決定。
11月に引き続きじゃんけんで決まった担当は、スタッフかずま(Facebookの五郎)です。
4月から今まで広報担当の2人で更新していたブログですが、
11月からは毎月1回記事を生徒スタッフみんなで持ち回りして
書くことになったので、より多くの価値観に触れられるようになったと思います。

と思いきや、、、
11月は偶然広報担当の生徒が、12月は偶然広報担当のスタッフがブログ担当に。
これはデジャブ!?
(お笑いの)天丼!?
神様のイタズラか何かでしょうか。
いくら考えても、この世の真実には辿り着けそうにありませんが、前置きはこの辺にして、記事を書きます。

 

最近、人に寄り添うとはどういうことなのか、考えることが多いです。
そんな中で、何人かの方から「あなたはそのままで大丈夫」という趣旨の意見をもらったことから、
改めて考えたことを書きます。
意見してくれた方に気をつかい、色々オブラートに包もうとした結果、
自分でも何が書きたいのか一度わからなくなったので、
結論から書くことにしました。笑

今回考えて至った結論は、、、ババン!!
「相手のためを思って<あなたはそのままで大丈夫>と意見をしても、
本当の意味で相手に寄り添えていないこともあるんじゃない?」

 

関心を持ってもらったり、意見を頂けると、自分に無い発想や価値観を得られるので、
本当にありがたいです。
ですが率直に言うと、僕はスクールのスタッフとしてそのままで大丈夫ではないし、
もっと考えた方が良くなるところがあると思っています。
この記事を見てくれているかわかりませんが、色々と考えるのが好きそうな方々に意見をもらったので、
否定されたー!とか思わずに一緒に考えてもらえると嬉しいです。

そのままで大丈夫ではない、もっと考えた方が良くなる、と思っているところ

☆人の心を察知したり、自分の感情を伝えることが苦手なので、
お互いの感情が分かりにくいところがあります。
なので、ミーティングの話し合いや日常的な会話でも、言葉だけで捉え理論で考えていて、
その人の思いや意図に気付けなかったりしていました。
☆心を察知することができず、無神経に思われるような発言をしてしまうことがあります。
実際に、自分の捉え方だけで考えてしまい「寄り添いたいと思えない」と発言
→その後意見もらって、「改めて考えて、寄り添うの意味を理解したら、寄り添いたいと思います」
と言うことがありました。
☆ルールを人に伝えるとき、相手の環境や理解度を考えずにシステムを文字通り伝えてしまって、
冷たく思われるようなこともありました。

「そのままで大丈夫」という意見には、
人間として価値が無いわけじゃないよ~とか、
それも一つの個性として認めたい、という意味合いが含まれていると思います。
もちろん、そういう意見を否定するつもりはありません。

ただ、今回の話は社会人として関わるときの問題として考えています。
さらに、八ヶ岳サドベリースクールという学校のスタッフという立場で考えれば、
学校運営のことをみんなで話し合って意見を出し合いながら構築していくことや、
どんな人も対等に尊重(大切に)される環境を作る一員でいるために、
足りないところやもっと向上できるところがあると思っています。
そんな、自分のもっと考えた方が良くなると思っている部分に、
スクール構成員の皆さんやボランティアの方などたくさんの方から
色んなアドバイスをもらって日々対策をして改善しています。

 

今回考えたのは、そのままで大丈夫と言ってもらえることで、
励ましになってやる気を取り戻したりするかもしれない一方で、
本当にそのままで大丈夫だと思ってしまって、
せっかく見つけた自分の改善点を放置してしまうことがあるかもしれない、
ということです。
また、スタッフしろーが話していた
「時と場合によるけど、もうちょっと発破をかけたら頑張れるだけの力と伸びしろがあるのに、
その人の人間関係の中で、近しい人に『そのままでも大丈夫だよ』と言われているのを見て、
もったいないなと思う。」
とか、色々な可能性があると思います。
このあいだ、誰かのことを心配しているときに声をかけることは
「かえってプレッシャーになるかもしれないし、自分が同じ立場だったらどうかって考える。」
と言っていた生徒七郎がいました。
それらの考え方を僕はあまりしてこなかったなと気付いたのですが、
自分の意見を相手に伝えるときには、相手の立場で物事を考えたりしないと伝わらないことがあるし、
意見を言う前にまず相手の状況を理解するということが、寄り添うことに繋がると思います。

先日、ミーティングで自分の本心をシェアしたいと言って、
その時にスクールのみんなが僕の言いたいことに寄り添ってくれて、
改めて寄り添うとはどういうことかを説明されて初めて「寄り添う」を実感したことがあったのですが、
今回意見してくれた方々は、僕のためを思って、
「あなたはそのままで大丈夫」という意見をしてくれていたと思いますが、
時と場合によっては、相手に寄り添えていないこともあるんじゃないかなと感じたのです。

とにもかくにも、まず相手の状況を考えるのが、僕の課題です。
今回意見をもらったことで、寄り添うことについて、さらに考えることができて良かったです。

 

以下、12月20日に開催したクリスマスパーティーの様子です。

メインルームはクリスマスパーティーの準備で、この日は大きい部屋でミーティング。



参加者の皆さんが来られる前に、ツリーの飾り付け。



クリスマスパーティー参加者の方がたこ焼き器ごとの一品持ち寄ってくれました!



総勢20名ほど集まったクリスマスパーティー。総動員での片付けはあっという間でした。


常に変化していくスクール。

  • 投稿日:2019年12月16日
  • カテゴリー:ブログ

スクールの屋根から。富士山南アルプスが見渡せます。



今回の記事は、広報担当で打ち合わせた結果、スタッフのかずま(Facebookの五郎)が書きます。

12月前半は短期留学期間がありました。3日間参加してくれた留学生や体験ワークショップ生がいました。
1人参加希望の方がいたのですが、その人だけということを連絡したら、今回はキャンセルしますということもあって、留学13回目にして初めて10日間通しての参加者がいませんでした。
期間中はスタッフ2人を宿直担当で契約しているのですが、今回初めて宿泊者がいない日があったので、今まで考えたこともなかったことを話し合って、「利用者がいない日は宿直を無しにする」と「いつ申し込みがあっても良いようにイベントはやめない」が決まりました。

保護者の方からの提案で、ホームページの学費案内の表記を変更することも決まりました。現在学費は月50000円と決まっていますが、話し合うことができることが伝わる方法や学費のハードルの高さを軽減できる方法を考えて話し合い、「以下は基本料金ですが、ご家庭の事情に合わせて話し合いのもと、決める事ができます。」という文言が加えられました。

広報担当から、説明会の内容を話し合いたいという議題も出ました。先日、見学者への説明資料をミーティングで話し合って作り直したので、説明会の資料もそれと同じものを使うことにして、わからないところや気になるところを聞いてもらうのに加えて、スクールのメインルームにあるスクールに関連する掲示物(議題ボード、イマココボード、模造紙、予定カレンダー、ステッカーの経緯)の説明をすることに決まりました。


クリスマスパーティーに向けて、今までお世話になった方やスクールに来訪された方に案内のメールを送ることにして、メールの文章もみんなで考えました。
今は、スクールに届く一般の方からの質問メールへの返答や、見学や留学イベントなどの申し込みに案内を送る際のメールの文章も、その都度ミーティングで話し合っています。
必要事項を一つ一つ考えて書いたり、固くなりすぎないように、来てね~という言葉を入れるなど工夫もしてます。
そして早速パーティーへの参加希望がありました!
今回は直前の案内になってしまいましたが、不参加の連絡をくれた方もたくさんいました。
色んな方からスクールに関心をお寄せ頂いて、とてもありがたいです。

スクール全体に関わる大きな議題から、日々の細かい事まで、常に話し合いを重ねてスクールは変化していきます。
ときにはスピード調整も必要で、スタッフしろーから根を詰め過ぎないでと話が出たり、2日間ミーティングを無しにして、丸一日外にお出掛けする日もありました。

一人一人が対等に尊重され、どんなときも必要に応じて柔軟に話し合う。

その結果、常に色を変え形を変えていくのが、デモクラティックスクールとしての八ヶ岳サドベリースクールにある特徴だと思っています。

 

 


ネタが浮かばないをネタにした11月後半のブログ

  • 投稿日:2019年11月29日
  • カテゴリー:ブログ

今月の後半からブログは、
広報担当だけでなくスクールの生徒スタッフみんなで、
分担制にすると決まりました。

今までは、二人の価値観しか発信できていなかったブログでしたが、
書く人が増えるので八ヶ岳サドベリースクールの価値観や、
どんな考えをしてる人達がいるのかとか、どんな活動をしているのかなど色々な事が前よりもハッキリと見えてくるとおもいます。

そしてそして、今月の後半のブログを誰が書くか決める日がやってくるわけでして、
まぁいつもどうりジャンケンで決めようかと、話が進むわけです。

と言いますのは、現在八ヶ岳サドベリースクールではジャンケンという機能が非常に多く働いておりまして、
全ミーティングの書記、議長、まぁぁみんなやりたくないわけですよ。

私もすごくやりたくない。
何故なら書紀はミーティングで話し合われた事を正確に書いていかなければなりませんし、
なんせ書きながら議題の意味を理解して、
その議題について考えながら書き、ながら意見があったら言うという全部が書記をしながら、、、
になってしまいますので、
非常に疲れる。そして非常に時間を食う。
そりゃやりたくなくなるわけですよ。

こんな作業を自ら率先して楽しくやれる方がもしもいたならば、きっとそのお方は人間界の魂を持たないお方なのであろうとしか思えません。

ここまで言うと皆書記を嫌々やっているのか?思われてしまうので一応メリットも言っていきます。
聞きながら書く能力は身に付くし書いてる最中に漢字を調べたりするので難しい漢字を覚えれたりすることもあります。

議長は書記ほど大変では無いです。
議題の決をとる時、
誰かが発言したい時や
議題からまったく逸れた話になった時に元に戻すのも議長の役目です。
交通整備係みたいなものです。
ここまでは別にとても大変では無いです。
が、この後議長チェックという議事録に書記がちゃんと話し合われた事どうりにかけているかをチェックしなくてはならないのです。
これは書記が議事録を書き終わるまで待つという時間のロスがかなりある。
しかも書紀はミーティングが終わった後も30分ぐらい書き続ける事もあります。
そうなると議長はその30分間のいつでもチェックができるように時間を空けなくてはいけない。その30分の間に第五人格3回は行ける。

これもここまで言うとマイナスのイメージしかないのでメリットを言っておきます。
議長をやることによって皆の意見を効率よくまとめて話を進めていくので断言はできないですがリーダーシップのようなものは身に付くのではないでしょうか。

でもみんなやりたくないしか言ってなかったら何も進まないということで、
もうジャンケンで決めようじゃないかとなりました。

そしてジャンケンで負けた私は今ブログを書いている。

今まで広報担当しかブログをあげていなかったから広報担当だけでなくみんなで書いた方が良いと話が進んでジャンケンをした結果、広報担当が負けるという。

そして私は文を書くのが非常に苦手なものですから
まぁまずネタが浮かばないわけですよ。そしてネタが浮かばないものですから1文字も書けない。
そしてどんどん締め切りの日が近づいてテンパる私、本当にテンパってました。

だって締め切り前日まで何も書く事が思いつかないわけですよ、そりゃあテンパるって。

最悪の場合、僕の手足くんたちは何故ここまで気持ち悪いぐらいに細くて長いのかをひたすら語る文にしようかなとも思ったぐらいですから。

そして前日になってもうネタがない事をネタにしようという超天才的な閃きをし今この文を書いています。必死に、、、

今、ここまで書いて思っていることは、
「ホッこんなネタがないというネタだけでこんな長い文かけてよかった〜もう一つの記事としては成り立つぐらいの長さになったんじゃね?よかった〜」
なのでそろそろ終わりにします。
だって書く事がもう思いつかなくなってきたから。

このブログを書いて思った事は、
無理してまで大変な事を引き受けないってことと
助けを借りる事は、全く恥ずかしいことでもないし悪いことではないということ。
例えジャンケンで負けたとしても今回はネタが思いつかないので誰か代わってもらえない?と頼むとか、何かいいネタない?と聞くとか。

とにかく自分が少しでもきつい辛い大変だったら人をたよっていいと思います。
今まで僕は人に頼るのはみっともないことで迷惑をかけると思っていました。
でも意外と助けてと言ってみるとみんな手を貸してくれます。
イチローだって調子の悪い時は自分からSOSを出して色々な人に手を貸してもらっていたそうです。

とにかく助けを求める事は悪い事じゃないという事に気づきました。


「スクールとして」の意識。

  • 投稿日:2019年11月18日
  • カテゴリー:ブログ


11月前半のブログです。スタッフかずまが書きます。(Facebookの五郎です)

ここ最近、スクールのミーティングや日常で話し合っていることから、「スクールとして」の意識を考えることがとても多いです。

今年度の始め頃に「ゲームばかりしてる学校」と噂が流れていることを聞いて話し合ったときには、スクールがそう言われてどう思う?と聞かれても、生徒のみんなは「どちらかというと嫌かな」という感じでした。

そもそも学校運営をしたいかどうかを話し合ったり、スクールが無くなったらどう思いますか?とアンケートをとったりもしました。

最近の見学を受け入れるかどうかの話し合いでは、「スクールがこう思われるのは嫌だし困る。こうした方が良いと思う。」と、ハッキリした意見が出るようになったと感じています。

今まで見学者の議題が出ても、みんな基本的に誰でもOKなので移譲となっていましたが、最近話し合ってできたルール「見学の申し込みがあったときに、その日スクールに来ている人全員でメリットとデメリットを考えてメリットが上回ったら受け入れる」があるので、見学の申し込みがある度に申し込み文を読んで、スクールとして受け入れていいかどうかをみんなで話し合っています。


ミーティングで議長と書記を決めるときも、「自分はやりたくない」と言うだけでなく、誰がやるかを決める話し合いをしよう、という話し合いを重ねて、「どうやって決める?やりたい人いる?」と他の人のことも考えた話が当たり前になってきていると思います。

一人一人がどうしたいと思っているかを話し合いながら、色々な意見はあるけど、「スクールとしてはこうする」という判断を日々行っています。


好きなことをして自由に過ごすと共に、責任を取るとはどういうことなのか考えたり、赤字の現状をふまえて補正予算を話し合ったり、スクールをどうやって広めるか(ポスター作成、新しいイベント)を考えたり、今いる構成員でスクールをどんな風にクリエイトしていくかを色々な視点から話し合っている最近のスクールです。

 

 


10月後半のブログのはずでした。

  • 投稿日:2019年11月12日
  • カテゴリー:ブログ

 


10月後半に上げようと思っていましたが体調不良になってしまったため遅れてしまいました。

生徒が書きます。

10月19日はスクール総会の日でした。
現在スクールはこのまま3月まで行くと260万円以上の赤字という大変not so good状況なので
そのことについてスクール構成員で話し合いが行われました。

今年の予算が生徒が5人増えたら帳尻の合うように組まれていて、しかも去年生徒が五人増えたデータがあるわけでもないのに誰も反対することなくその予算が通ってしまっていました。
僕はこれはデモクラティックスクールの難しいところかなと思っていて

デモクラティックスクールは一人一人が対等なので生徒(子供)だから大人がやってくれるとかが全くない。

つまりレールも道もない大草原に立っていて自分で一からレールを引かないと何も進まないし何も起きない、しかもそこから動かないとどんどんお腹は空いていくし喉も乾いてきて、しまいには脱水症状で死んでしまうなんてこと全然ありえます。

今回は生徒がスクール運営に対する意識が薄かった。のとスタッフが赤字になっていることに危機感を感じてなかった
ので、生徒はあまり意識してなかったから予算をちゃんと理解してなくて、スタッフは危機感を感じてなかったから生徒にヤバいよとも言えてなかった。(僕なんてこんなにやばい赤字になってると気付いたのは先月ぐらいです)

だから誰かが動いたから自分も動く、誰かがやるならやるけど自分からはやるのはめんどくさいからいいや。だと何も始まらないしどんどん赤字は増えていってしまいにはスクールがつぶれるなんてことも全然起きてもおかしくないと思います。


そして最近やっと、ああどうしようってなって僕も含めみんなの意識がだいぶ運営のことやスクールの事に向いてきたと思います。

その結果とまでは言えないですが、今この260万の赤字をどうにかするために対策案を話し合ったりして今はまず生徒を増やさないと赤字は減らないのでポスターでスクールを宣伝する企画を立てたり、

スタッフの給料が月給で長期休暇がある月も無い月も同じ金額が出ていて、時給換算すると働いてない分ももらっていることになるので返金してもらったり、

他にはミーティング外での案で寄付もあったけどまだこの話は進んでなくて、、、

色々と考えてどうにかこの260万という巨大な岩を少しづつ削っていってできる限り赤字を減らすことを目指しています。

 

 

 

 

 

 


生徒もスクール運営に参加します

  • 投稿日:2019年10月28日
  • カテゴリー:ブログ


ちょっと遅めの10月前半のブログです。本当は18日に更新するはずだった生徒の僕、下校手段として自転車を選びクッソ寒いほぼ上りの山道を1時間半ほど漕いで大量の汗をかいたためそのあと1週間当然の結果になりました。風邪ひきました。

八ヶ岳サドベリースクールでは生徒スタッフ保護者を構成員として考えているので生徒、スタッフ、保護者でスクール運営を行います。僕は他の学校に詳しいわけではないですが、ほとんど運営に関してはスタッフ(大人)が決めて行ってるイメージがあります。少なくとも『生徒、スタッフ、保護者』が運営をしていると感じれる学校は今のところまだ見たことがありません。

そもそも何で生徒、スタッフ、保護者が構成員になったかというと、八ヶ岳サドベリースクールは別名デモクラティックスクールと言います。

デモクラティックの意味がわかんない方へ⋯https://ja.wikipedia.org/wiki/民主主義

Wikipediaでは

『「デモクラシー」(democracy)の語源は古代ギリシア語のδημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)で、「人民・民衆・大衆」などを意味するδῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味するκράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」、「国民主権」などの意味である[9]。この用語は、同様に「優れた人」を意味するἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)とκράτος を組み合わせたἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía、アリストクラティア。優れた人による権力・支配、貴族制や寡頭制)との対比で使用され、権力者や支配者が構成員の一部であるか全員であるかを対比した用語である。

古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになった。古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止し、元老院と市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。

近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であった[10]。近代の啓蒙主義以降は、「デモクラシー主義」は自由主義思想の用語として使われるようになった(自由民主制主義)。更にフランス革命後は君主制・貴族制・神政政治などとの対比で、20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主制(の政体)の総称は「権威主義制(権威主義制政体)」と呼ばれる。

日本語で「デモクラシー」は通常、主に政体を指す場合は「民主政」、主に制度を指す場合は「民主制」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳し分けられている。なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「デモクラティズム」(英: democratism、民主主義(思想))が使用される場合もある。

なお現代ギリシャ語ではδημοκρατία(ディモクラティア)は「民主主義」を表すと同時に「共和国(共和制)」を表す語でもあり、国名の「~共和国」と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。

民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。

古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配、自由、自治、法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義や経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。

民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦は総力戦となり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国などでは帝政が終焉した[12]。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦のスターリン主義が加えられた[12]。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった[12]。こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家も自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、民主主義とは何かが曖昧ともなった[12]。

民主主義の種類は大別して、構成員が直接参加する直接民主主義と、構成員が代表を選出して代表が議論や意思決定を行う間接民主主義(代表制民主主義)があり、組織の規模や、意思決定の重要度などによって選択や組み合わせが行われている。直接民主主義的要素には、構成員全体による会議の他にイニシアティブ(住民発案、国民発案)、レファレンダム(住民投票、国民投票)、リコールなどがあり、間接民主主義の代表例には議会や大統領などがある。これらの制度は組織全体の統合機能を持つため、仮に形骸化した場合には統合機能が低下する。また自由な議論の前提には、言論の自由、少数派の尊重、情報公開なども必要とされる。

民主主義を実現するための制度にはその組織や国の歴史的経緯などにより、議会主義による議院内閣制、二元代表制による大統領制、あるいはその組み合わせ(半大統領制)などがある。また権力による独裁を防ぐための三権分立など各種の権力分立がある。また現代の大衆社会では政党、圧力団体、マスメディアなどの役割や影響力も増加した。』

と書いてあったのでまず構成員とは誰なのかを考えまず生徒とスタッフは少なくともスクール構成員だろう。となりそして他に構成員はいるか考えた時に近所の人も構成員スクールに関わっているのではないかという話になりましたが、いやそれは行き過ぎだろwとなりました。そして僕は今年になるまで気づけてなかったのですが、保護者も構成員の一員じゃないかという話が出てになりそれまでは、スクール内で保護者が子供と対等に関わるのは難しいと思っていたのであまり保護者は関わらない方がいいと思っていたけど学費を払ってくれているのに運営に関われないのはおかしいのでは?ということで、結局構成員は生徒、スタッフ、保護者になりました。


話を戻すと生徒がスクール運営に参加できるのは八ヶ岳サドベリーの魅力であり、とても難しいところだと思います。難しいところは次回のブログで書きます。

社会に出る時に運営に責任を持つ事や予算を考える事を経験してると、とても強い武器になるとおもいます。

ほとんどの文字がウィキペディアのコピペになっていますが面白い内容なので全部読んで頂けると嬉しいです。


自由と責任。

  • 投稿日:2019年09月21日
  • カテゴリー:ブログ

スクール卒業生による撮影。構図が上手い。



最近スクール生徒の親御さんと話している中で、「自由と責任」に関する話題で、とても示唆に富んだエピソードがありました。

スクールに登校するかしないかを親子で家で話しているとき、生徒の子がスクールに行かなかった日に「行ったよ」と言っていた事があって、その親御さんは「別にスクールに行っても行かなくてもいいけど、嘘をつく人は信頼できない。行ってないのに行ったと言う必要はないよ。」という話をしたそうです。

それから、親御さんの考えを伺うと「サドベリーでは、どんな活動をするかは自由、ミーティングに参加するかも自由、その日登校するかも自由だけど、ちゃんと自分でジャッジするのが大事で、それが自立に繋がる。」というお考えでした。

短期留学中のミーティング。ペットボトル1本の出しっぱなしをきっかけに、納得いくまでとことん話し合います。



確かに、サドベリーは行けばどんな事でも自由に学べる環境ですが、公立校のように、行けば自動的にカリキュラムが与えられたり、登校することが良い方向に評価されるということは一切存在しませんし、そもそも行かなければならない場所でも、誰かに行きなさいと指示されて行く場所でもありません。

「自由に学ぶ」とは、好き勝手や自由奔放に過ごすのではなく、自分で責任を持つということです。ときには自分だけでなく周りの人のことも考えて、互いの自由を尊重し合う必要もあります。

短期留学中。それぞれがそれぞれの活動。



先生に言われた通りのことをやる、親に言われたから仕方なくやる、ではなく、自分で考え自分で決める。

「自分で考え自分で決める」を(それも子ども時代から)尊重されるのが、サドベリーの特長だと思います。

「誰かに決めてもらう方が楽だから、サドベリーの自由は厳しい。」という感想を持つ方もいますが、それでは何歳になっても、決めてくれる人を探さなければ動けません。それも一つの生き方で、否定されるものではないと思いますが、自分で責任を持って学んでいけるサドベリーでは、どうすれば良いかが定められていない中で、常に何事も自分で考え自分で決める経験を積み重ねていき、「自立する」ことが当たり前のように身に付いていくのです。

公園にみんなで出かけた日。



今回の記事の写真、1枚目と4枚目はスクール卒業生が撮ってくれたものです。フォトグラファーを目指すだけあって、構図が上手いし、良い表情を捉えているなと思います。

(スタッフ・かずま)