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電気のつけっぱなし。

  • 投稿日:2018年12月10日
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スクール近くの公園。大きなすべり台があります。



今回はスクールで実際に起こった出来事から、話し合って作られたルールを紹介しようと思います。サドベリーは何をやってもいい自由がある一方で、すべて自分達で決めていく責任があります。たとえば掃除をやらないで部屋がどんどん汚れていっても皆がそれで良ければそうなりますが、その責任は負わなければいけません。(汚いのが嫌な人がいたらそれに応じる、場合によっては汚した自分達で掃除をする、賃貸物件であれば家主さんへの責任など)

 

スクールで泊まりのイベントを開催するようになって、夜もスクールを使う日が増えてきた時期に「電気のつけっぱなし」が多くなったことがありました。昼間の活動中は部屋が明るいのでそもそも電気をつけることが少なかったからか、普段スクールにいない外部の子達が来るようになったからか、それまではあまり起きていなかったことです。ちなみに、備品に関しては「出しっぱなしにした備品は次の日使えない。」というルールがありますし、ごみについても「ごみを捨て忘れたら次の日ごみを捨てられない。」というルールがあります。

枯れ草を燃やしています。



電気のつけっぱなしはありかなしか。ミーティングで話し合われて、八ヶ岳サドベリースクールとしては「無駄に電力を使うのはよくないから、使わない部屋の電気は消すことにしよう。」とラインが定められました。そして、電気を消し忘れたときのペナルティとして「その場所のブレーカーを3時間落とす。」というルールが作られました。これは、3時間使えなくなるから気を付けるというよりは、その場所の電気を節約するためという意味合いで作られています。その後、みんな気を付けて過ごしているものの消し忘れが起こり、その都度担当の人に頼んでブレーカーを落とすという作業が続きました。(ブレーカーが簡単に手が届かない場所にあるのでブレーカー担当を事前に一人と決めていました)

鳥の小屋を設置。



これで電気を節約できるし、みんなが気を付けて過ごすようになった。ひとまず良い方向に向かった…かと思われましたが、また新たな問題が出てきます。夜寝ている時間に消し忘れが発生したからです。早速次の日のミーティングに消し忘れた子から「昨日の夜に電気消し忘れたけどブレーカー担当の人が寝ててブレーカーを落とすことを頼めなかった。」という議題が出ました。それから、ルール自体に問題があるという話になり、ルールの見直しをすることになります。

担当の人がいないとペナルティを実行できないのは問題でしたし、ブレーカーを落とすと消し忘れたピンポイントの電気だけでなく部屋全体の電気が使えなくなるということ(それも含めてペナルティとも捉えられますが)もありました。そこで消し忘れた箇所のスイッチの上に「○○時まで電気つけれません貼り紙を貼る。」というルールに変更され、現在も続いています。また何か問題があれば変わるでしょう。

 

みんなで外にご飯を食べに行くこともあります。



今あるルールが今後もずっと最善とは限りません。多様な価値観に応じて変化させていく必要があります。何か問題があれば問題と思った人が議題を出して、その議題についてみんなで責任を持って話し合う。そうしてスクールのデモクラティック(民主的)な文化が作られていきます。

(スタッフ・かずま)

 

 


社会経験。

  • 投稿日:2018年11月19日
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秋は紅葉が綺麗です。



サドベリーは「自由な学校」というイメージが一般の方には強いように思いますが、今回は民主主義を支える上でもう一つの重要な両輪である「自治」、学校は一つの小さな社会でもあるということについてお話します。

 

先日スクールに雑誌取材の依頼があって、生徒の子達が答えていた中で「何を目指して学んでいますか?」という質問に「何も目指していません。自由に学んでいます。」と答えている子がいました。多くの学校は、将来のためにとか社会に出て困らないためにという視点から今何をするかを考えられているように思います。

暖炉でダンボール燃やして遊んでます。



最近のミーティングでは、「ミーティングの考え方」についてみんなの意見を聞きたい。という話題が出て、色々な意見が出ていました。

・誰かが議題を出したときに、それをどうやって尊重する、大事にするのか?

・貼り出されてる議題を見て、出した人がどんな気持ちなのかとか、ちゃんと考えた方がいいと思う。

・議題の数が多くてめんどくさいと思ってしまったときがあったが気を付けてみたい。

・誰も参加しないときは一人で決めればいい。その決定を皆が守るなら大事にしてるということ。でも一人でやるのは寂しい。

・どんな議題が出たとしても、真剣に考える。

・大事にすることすら自由だったら、それは自分勝手じゃん。

・議題について考えてない人もいていいと思う。でも生徒もスタッフも全員そうなったらミーティングにならない。

・一人は寂しい。できれば皆でやりたい。出てほしいなら出てほしいと言う。

・参加せずに人任せでも、相手に任せて決まったルールを守ればアリと思う。

こんな感じでそれぞれの意見についてさらにその理由を聞いたりしていました。特に何かを決めたりしたわけではないですが、みんなの考えを共有したりそれに意見をし合うという話し合いでした。よく「話し合いの文化はどうやって作ればいいですか?」と聞かれることもありますが、僕は「話し合うことでしか話し合える土壌は作られない、日々話し合い積み重ねることで土壌が豊かになっていく」と思います。

スクール近くの公園。



確かに学校は社会に出る前の経験を積むところという意義はあると思いますが、サドベリースクールは今まさに所属している学校を社会と捉えて、社会と自分を切り離さずに責任を持って自分たちで自治していくという社会経験ができる学校です。

日々何をして過ごすのかを常に自分で考えたり、一緒に何か活動したいときは周りの人と交渉して、何か問題が起こればミーティングという正式な場を作って話し合います。嫌なことをされたからやめてほしいといったものもあれば、スクールとして取材を引き受けるかやスタッフの人事についてなど。子どもであっても自分たちで責任を持つので、ある意味既に社会人になっているようなものですし、卒業した人達の今の様子を見れば、実際の社会でも活きていることがわかります。

筆者は日本各地のスクール卒業生の人達とも交流がありますが、子ども時代から常に自分がどんな行動や発言をするかを自分で考え、自分の学びや幸せについても自ら責任を持つ経験をしています。集団の中でどう物事を進めるかや問題解決もたくさん経験し、色んなことを考える時間が山のようにあるので自分のことをよく知っていますし、失敗したりうまくいかないときも軌道修正することができるようになります。

スクールでの社会経験を重ねて協調性や社会性を身につけていますし、自分の人生をどのように生きるかということを考えたり自ら切り開いていくことが当たり前になっているのです。

ダンス踊ってます♪



どんな学校も会社も、家族や友人関係、習い事や趣味の集まり等も含めて一つひとつが小さな社会と言えると思いますが、サドベリースクールという小さな社会には、「何も設定されていない」という特徴があります。言い換えれば「社会のあり方を自分たちで考えて決めていく」ということなのです。そして、そんな社会の中に身を置き、自分の行動を自分で決めていくということも、大きな社会経験になっていきます。

(スタッフ・かずま)


月刊ソトコトに掲載されました!



スクールが雑誌の取材を受けました!

今回取材をして頂いた「月刊ソトコト」は、1999年に創刊したソーシャル&エコをテーマにした雑誌で、20~40代を主な読者層に全国で月10万部を発行されています。

「教育の多様性」という特集で全国のユニークな学校を紹介する中の一つに、八ヶ岳サドベリースクールが紹介されました。2分の1ページで掲載されています。今回の取材もミーティングで話し合って、スクールとして引き受けるかどうか、本当にメリットがあるかどうかを考えて生徒の子達でジャッジしています。引き受けることになれば、次は担当者を決めます。今回は生徒2人とスタッフ1人で取材に答えました。


目次の一部です。教育以外にも様々な分野から「多様性」について考えられる一刊となっています。

以前ネットの記事の依頼があったときには、「編集権」の関係で公開前にスクール側で記事を確認することができない、もしかしたらこちらの本意ではない記事が世の中に広まるかもしれないがどうする?という話し合いもあって、「編集権」とは何かをみんなで調べて、リスクはあるけど取材してもらう中で記者の人にきっちり話してスクールを理解してもらおうと決まったこともあります。

今回の記事中にも「何を学び、何を目指すか、学校の運営方針さえ決めるのは子どもたち!」と書いてもらっていますが、このような取材を受けるかどうかを生徒達で話し合い、担当として質問に答えることを生徒自ら行っているのは全国のユニークな学校の中でもサドベリーくらい。短い記事ながらサドベリーの特徴が出ているものになっていると思います。


多様性が上手く表現されている表紙ですね。

12月号(11月4日発売)です。購入はこちら→ソトコト12月号

生徒の子達やスタッフが一般の取材にどのように答えているのか。気になる方はぜひご一読ください。

(スタッフ・かずま)


スタッフという職業のおもしろさ。

  • 投稿日:2018年10月31日
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子ども達との日常会話。



現在常時スタッフを募集している八ヶ岳サドベリースクールですが(スタッフ募集ページ)、スクールの知名度がまだまだ至らないとか、田舎で周りに人が少ないとか、給与面が充実しきれていないなど、継続的に検討していく色々な課題はあれども、最近スクールで出た話ではそもそもスタッフの仕事内容がわかりにくい、何が面白いかわからないから応募しようにも動機足り得るものがないのではないか?という会話の流れから、スタッフの仕事の楽しさや面白さをアピールしたらいいんじゃないかという意見があったので、今回は現職スタッフとして考える「スタッフという職業のおもしろさ」について普段の様子を交えながら書いていきます。

 

騙し合い読み合いの人狼ゲーム。



1.子どもと対等に関われる

ある日、5歳の男の子がトイレに入っていて「かずまー!きてー!みてー!」と叫んでいました。僕はよくわからなかったので「どうしたん?」とその場で聞いたら「とにかくきてー!」と言うので、行ってみたら「おしりふけてるか見て」と言われます。低い姿勢になって下からお尻を覗き込むのは少し抵抗があったので「覗き込むのは微妙やから、もう一回拭いて拭く位置が合ってるか俺が見てて、それで拭けてるか確認するのはどう?」と提案し、その子は提案に乗って拭けていることを確認したら、またどこかへ遊びに行きました。年齢に関係なく関わるサドベリーでは、こんな日常があります。

別の日、生徒の子と車で移動していたら、窓を開けて大声で叫ばれることが。それが嫌だったので「俺の車で叫ばれるのは嫌やからやめてくれない?」と言うと「何が嫌なの?かずまが乗っていいよって言ったわけじゃん。別に他の人になんか言われたらちゃんと謝ったりはするよ。」と言われます。確かに、大声で叫びたい人の気持ちも考えると、その人を自分の車に乗せた時点で、程度は都度話し合うとしてもその人の言動を受け入れる必要はあるし、そもそも自分が何が嫌なのかは考えず探らずに発言していたなぁとか、自分の車に他人を乗せた時点で車を自分一人の物と思うのは(命を預かりハンドルを握るという観点からも)勘違いだったと思ったり。

子ども達と一人の人として対等に関わるサドベリーでは、「相手を尊重する」とか「対等に関わる」という、人間関係において最も大切なことを考える機会がたくさんあります。

 

スタッフ立候補プレゼン。自分に何ができるか、生徒の子達にアピールします。



2.社会のあり方を考えられる

スクールという小さな社会を自分たちで自治するサドベリーでは、たとえば掃除をするかしないかから話し合えます。ミーティングで掃除をすると決めて日々こなしていたある日、生徒の子が「今日はめんどくさいから掃除しない」と言っていたことがありました。そこに居合わせた自分は「ルールで決まっているのにやらないのはミーティングで話し合って決めた意味がなくなってしまう。ルールがおかしいなら変えるにしても、きっちり守った上であらためてミーティングで検討するべきではないかな。」と意見をしたり、必要と思えばルール変更の議題を出すこともあります。

お泊まりのイベント中は、サドベリーでは「何時に寝なさい」なんて言う人はいないので、早寝する人もいれば遅くまでワイワイ盛り上がっている人もいます。あるとき「寝たい人の自由も尊重してほしい」という訴えがミーティングに出て、何時から何時まではこの部屋は寝る人優先と、時間帯によって住み分けをすることが決まりました。その際に起きていたい人の自由も尊重しようと、夜の時間に音を出していい部屋を作れるかどうか、また近隣住民への配慮の必要性についても話し合われました。

スタッフの仕事は、一つは目に見えやすい部分で日常的に子ども達と遊んだりミーティングで話し合ったりすることや、話し合って決まっている業務的な部分(経理、事務、広報など)。もう一つはスクールの理念を守ることがあると思います。「一人ひとりを尊重する、民主的に話し合う」ことに尽きるのですが、上記のように自由のぶつかり合いが起こったときにも、誰かの意見や価値観がないがしろにされていないか、本当の意味で目の前の一人ひとりを尊重できているかが、サドベリーでは決まった手法があるわけではないからこそ、生徒とスタッフで共に担うことですが、常にスクールとして「社会のあり方」が試されていると思います。

一人ひとりが自由に活動ができるサドベリーですが、一人だけの自由(好き勝手)はもう一人が居る時点で終わります。「何事にもいい悪いはない」というベースはあっても、社会としてどうあるべきか?を自分たちで考えて決める必要性が往々にして出てくるのです。

 

雪に埋められることも…



3.常に自分を問われる

スタッフの存在意義については、スクールを見学に来る人の中ではわかる人とわからない人がいます。従来の学校の価値観で見ていると「あの人は何も教えていない」かのように見えるのは理解しますが、本当に何もしていないだけではスタッフの仕事は到底務まりません。おそらくそんなスタッフは子ども達に来てほしいと思われないし雇われなくなります。「スタッフはただ何もしないだけでしょ」なんて思う人は何もわかっていないのです。

あらゆる出来事や目の前の人の言動に対して、自分の中に「何がいい・悪い」と思う偏見があることが浮き彫りになります。多種多様な子ども達と関わる上ではまず自分の偏見を認めてさらけ出したり、相手を受け入れるために、ときには自分の大事にしている価値観であっても変化させる必要があります。スタッフの仕事に必要となれば今ままで知らなかったことを学ぶ姿勢も。

日々、日々、学びがあります。こんな常に学ぶ生活を続けていると、生きた年数的には年をとっても、心も体も若くいられるような気がします。

そんなサドベリースクールに毎日いると、自分は何がしたいのか、自分がやっていることは本当に最善であるといえるか、など、常に自分の存在を根底から問われているような感覚があります。それをあえて見ない・見えないフリするのはスタッフとして相応しくないと思うので、自分はよく「餅つきのように常についてほぐしてつく、つかなければ凝り固まるもの」と言うのですが、とことん自分自身と対峙して誤魔化さず、整えていなくてはいけないと思います。

 

IN東京。外部のイベントに生徒と一緒に出ることもあります。



4.他の社会でも必ず役に立つ経験

スタッフの経験は、スクール以外の社会にいるときにも影響します(逆もそうですが)。他の会社や家族、友人や趣味の集まりに至るまで、どんな社会においても人間関係は肝心なところ。サドベリーでの社会のあり方を常にみんなで考えていく姿勢や、その社会の中で自分が何を考えてどのように立ち振る舞うかという日々の経験値は他の社会においてもきっと役に立つもので、もちろん第一に子ども達の学びや成長をサポートする仕事ではありますが、今後どんな人生を歩むにしても自分を大きく成長させてもらえる仕事だと思います。

 

あとがき:少し長くなりましたが、この記事を読んでいただいてスタッフの仕事に興味を持たれた方は、ぜひ一度スクールの日常を見に来ていただけたら嬉しく思います。実際の雰囲気を体験しなければわからないものが確かにあります。今後、サドベリースタッフの仕事が広く社会的に一つの職業選択肢になっていくことを願います。(スタッフ・かずま)

 

 


「何してますか?」と聞かれると困る。

  • 投稿日:2018年10月10日
  • カテゴリー:ブログ

「大きい部屋」という名前の部屋。本当に広くて開放的です。以前ボール遊びをしていて物が壊れたことからミーティングで話し合われて、ボール遊びにも色々あるから禁止にすると面白くない。でも物が壊れるほど危ない遊び方は室内では制限したい。という意見から「危ないと言われたボール遊びはやめる」というルールが作られました。



今回はサドベリーあるあるを一つ紹介したいと思います。サドベリースクールは他の学校に比べてかなり特徴的な学校なので、一般の方から色々な意味で興味や関心を持ってもらって「子ども達は普段何をして過ごしていますか?」と聞かれることが多いです。

興味を持ってもらえること自体が本当にありがたいことですが、スタッフとしてはこの質問にどう答えればいいのかいつも思い悩んでいます。なぜかって、カリキュラムがなく自由に遊び学ぶ子ども達が何をしているかなんて他人には到底把握しきれないからです!

ある一日の活動を思い浮かべて「自分の好きな絵を描いている子やみんなで鬼ごっこをする子達がいたり、パソコンで何やら作業をしている子やカメラで写真を撮る子、味にこだわったご飯を作っている子もいます。」と言ったとして、これが質問の答えになっているでしょうか。目に見える具体的な活動を紹介することでその人達をきちんと捉えて表現できているでしょうか。

逆に、絵を描いている人は絵を描いていること以外何もしていないのかと考えると、おそらくそうではないと思われます。目に見えないですが何か違うことをじっくり考えていたり、雰囲気という言葉があるくらいですから何かを感じることもあります。大人も同じで、仕事をしている社会人が仕事に全く関係のないことを考えたり感じていることはあると思います。

布団にくるまって話しています♪



そもそも人間は「何もしていない」なんてことはあり得ないのではないか、とすら思えてきます。とはいえ、スクールの説明を「子ども達は自由に好きなことをしています。」とだけ言っても一般の方にはイメージがしにくいと思われるのが悩みどころです。笑

「卒業生の人は何をしていますか?」もよくある質問ですが、同じようなことが言えます。「レストランを経営している人がいます。」「大学に進学しています。」「結婚して子どもを育てています。」などと言ったところでその人の何がわかるというのでしょう。

「コミュニケーションが苦手だからそれをやるためにサドベリーに入りたい。」と言う子もいますが、本当にサドベリーの日常にはコミュニケーションが豊富にあります。



よくわからない記事になってしまったような気もしますが…とにかくサドベリーの子達が普段何をしているかは他人から見聞きした話だけではほんの少ししか伝わらないと思うので、興味を持っていただいた方はぜひ日常の雰囲気を見に来てもらえると嬉しいです。(スタッフ・かずま)


未来の先生展、行ってきました!


1日目は10人ほど、2日目は50人くらいでしょうか、部屋が満杯になって外から覗いている人もいるくらい集まってくれました。



先日東京で開催された「未来の先生展」というイベントにスクールとして参加してきました。フリースクール、オルタナティブスクール関係や公立校側や企業からの出展もあったり、多種多様な団体を見ることができるイベントです。

 

スクールでは、イベントに出るかどうかもミーティングで話し合われます。今回も数ヶ月前にイベント出展の依頼を頂いて生徒の子達で話し合いました。現状では基本的に依頼されたことには積極的に参加していく方向なので、出展することが決定。

次は担当する人を決めていきます。実際に通う生徒の話を聞いてもらおうということで生徒の子1人と広報担当のスタッフ1人の2人で担当することが決まりました。土日の2日間いずれも1時間の枠をもらっていたのでどんな出展方法にするかを担当の2人で話し合い、前半はスクールの説明、後半はできるだけ一般の方と対話をメインにプログラムを組んで当日を迎えました。

 


生徒の子はたくさんの人が聞いているという状況でも、全然緊張しなかったらしく普段と全く変わらない様子で話をしていました。

イベント後、担当者2人の振り返りでは「一方通行の講義形式では中々サドベリーは伝えられない。今回も話を聞いてもう~んと頭を悩ませているような人もいたが、人が多くて一人ひとり丁寧な説明をするのが難しかった。今後は常時説明ができるブースを置かせてもらうとかがいい。」といった話も出ました。

担当をした子は今後も外部のイベントには積極的に行きたいと言っているので、サドベリー生徒の話に興味を持っていただいた方はどうぞお問い合わせください!

(スタッフ・かずま)


恐怖の不在~②違和感を持つ~

  • 投稿日:2018年09月05日
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ミーティング風景



前回の記事

恐怖の不在①

では、サドベリーという小さな社会は誰かが恐怖(権威性)で支配することをしないのでどんな人とも対等に関われる環境が成り立っているというお話でした。2回目の本稿では、恐怖がない環境で子ども達がどのように過ごしているかを書いていきます。

権威性がないことで一人ひとりが何をやっても(やらなくても)いい活動の自由が保証されます。何歳だからこれをやらなければはありませんし、まだ何歳だから早いも、男・女の子なのにそんなことやるのはおかしいもありません。さらに権威性がないことに慣れきった子ども達は「恐怖に対する違和感」を持ちます。

公園に遊びに来ました!



たとえば、みんなで一緒に遊んでいて鬼ごっこをしようとの話し合いで「増えおにがいい、こおりおにがいい、色おにがいい、ケイドロがいい」など色々な意見が出たとき、そこで誰かの意見が無かったことになって進むようなことがあれば、誰かが違和感を持って「まって、あの子こんなこと言ってたよね」と口を挟みます。

たとえば、楽しく遊んでじゃれ合っていても、嫌になってきた子がいれば「もうやめて、ミーティングに出すよ?」と言うこともあります。大人などの権威に頼って誰かに解決してもらうというわけではなく、自らミーティングという正式な場に出すことでスクール(社会)としての正当なジャッジを使って解決していきます。

「恐怖」というと少し大げさな感じもしますが、より具体的にいえば「誰かの意見が尊重されない」ことに違和感を覚えるということです。

興味があることを好きなだけ話しています。



前の記事で「権威性がない」ことについて書きましたが、権威性が全く存在しないわけではありません。一般の方から「いじめはあるんですか?」という質問をもらうこともありますが、みんな色々な価値観を持った人間なので気持ちの行き違いや誰かが誰かに違和感を持つなどの問題は頻繁に起こります。むしろ問題が起こらない方が「問題そのものを権威化」して避けているということもあると思うので、そこにいる人達が多様であるなら問題が起こること自体は自然です。

問題が起こったときに、上記のようにその場で話し合って解決したり、ミーティングで正式に話し合うことができる環境が成り立つには、尊重されないことに違和感を持てる一人ひとりの感性と、それをすぐに言える文化(雰囲気、システム)があるかどうかが重要なのです。

(スタッフ・かずま)


恐怖の不在~①権威性のなさ~

  • 投稿日:2018年08月30日
  • カテゴリー:ブログ

戦略を考えながら遊ぶボードゲーム♪



サドベリーでは何歳であろうが立場に関わらず対等に関わります。誰かが「ここが汚いからみんなで掃除をしよう」と言っても、汚いと思ったのはその人の価値観なので他の人が汚いと思わなかったり掃除を面倒と思えばそれも同じように尊重され、スクール(社会)として汚いか掃除をするべきかどうかを話し合います。恐怖がない、つまり権威性がないともいえます。今回はそんなお話です。

広い校舎一面に電車を走らせます。



「そんなことしてたらまともな大人になれないよ」と言う人がいます。既に保育園や幼稚園から「ちゃんとした小学生になる練習だよ」とも言われます。

まずもって「恐怖=まともな大人になれない、小学生になれない」を植え付けてその恐怖を鎮めるためならばと、日々頭ごなしに怒られたり本当に意味があるのかなんて関係なく将来のためにと勉強をさせられる等、ある意味残忍なことが正当化されていきます。会社などで「残業がない会社なんてないんだから」とサービス残業が横行するのもそうかもしれませんが、親や先生、上司の言うことを守らねばならないという法律があるわけではないのに、逆らった場合の恐怖が存在するから従うということが少なくないと思います。

卓球の練習!



サドベリースクールを考える上で、この「恐怖の不在」は非常に重要なポイントです。スクールを見学に来てこれに気付く方と気付かない方がいますが、子ども達は見ず知らずの来訪者(大人)を何も恐れてはいません。それは普段から異年齢の生徒やスタッフ達と権威性を頼らずに一人の人間として対等に関わっているからです。人と人として対等に関わることの価値を、多くの場合大人よりも子どもの方がずっと鋭く言葉にはせずとも感覚的に理解しています。

恐怖が存在する環境に慣れきってしまうと恐怖の無さに逆に不安を感じて「遊んでばかりで大丈夫なのか、将来は大丈夫なのか」と無意識に恐怖(権威性)を探してしまいます。不安を正当化したい人は「上下関係の厳しいタフな社会でやっていけるのか」と言ったりもしますが、サドベリーを出て社会人になった人達はそもそも恐怖を土台にしていないので、その恐怖とすらフラットに向き合っていく姿勢があります。

大量の球を連続で打つ練習です!



少難しい話になってきたかもしれませんが、大事なことなので続きの記事も書きたいと思います。今回の記事では「サドベリーの子ども達は見ず知らずの来訪者(大人)を何も恐れてはいない」という権威性のなさがサドベリーの恐怖の不在を理解する上では目の前にある最大かつ最適の教材だということがわかると思います。これからの移り変わる世の中で、知らない人や新しい文化を恐れていないということ自体が彼・女らの糧になっていくのです。

(スタッフ・かずま)

 

 


ポケモンを英語で。

  • 投稿日:2018年08月07日
  • カテゴリー:ブログ

暑いので水遊び♪



サドベリースクールはどんなジャンルの活動もフリーに選べる環境なので色々なゲームで遊ぶ子達がいますが、中でもポケモンの人気は世代を超えて続いています。(筆者は初代ポケモン緑をときめきながら遊んだ世代です)

先日ポケモンのゲームを何回も周回してクリアしている子がなぜか英語設定で新しくデータを作って、その子はあまり英語がわからないので文章を事細かに調べながら翻訳して理解を進めるという活動をしていました。

 

進める中でいくつかわかったことがあって、ポケモンのゲームは英語版だと表現が全然違うということです。登場人物のセリフばかりかポケモンの名前すら違っていました。「ニャースはmyarsなんだ!みゃーと鳴くからかな」「キャタピーはそのままなんだ、そうかキャタピラー(イモムシ)が由来だからか!」などなど、色々気付きがあったようです。ただ英語がわからないのでかなり四苦八苦はしていて、翻訳アプリを駆使したり英語が分かりそうな他の人に聞いてみたり、最初の「博士の説明とお母さんのお言葉(チュートリアルのようなものです)」を翻訳するのに丸一日かかって、いざ最初のポケモンをgetしたときの感動は半端じゃない様子でした。

ちなみに翻訳の仕方も自分で考えてやっていましたが、まず自分のノートに英語の文章をすべて記入して、その周りに日本語で意味を補足しながら書いていたので膨大な量の英文を書き翻訳するという作業ですが、とても楽しそうにやっていましたし、やればやるほど英文の会話を理解できているようでした。

これはポケモンではなくマリオカートです。



教科学習という形だけで「英語」を見ると矮小化して「あの子は英語をやってる・やってない」と考えてしまいますが、他にもオンラインゲームで世界中の人とチャットやスカイプなどでコミュニケーションをとってリアルに学んだり、スクールへの英語の問い合わせに生徒の子が調べながら返信のやり取りをする子や、将来のためにと英語のリスニングを受けている子もいました。


本人の意図的ではない場合もあるかもしれませんが、幅広い視野で見れば「英語」を学んでいるということがわかります。色んな形で学ぶ子がいますが、共通しているのは「本人が必要だと思ったときにできるようになる」ということです。これは国語や算数など他の教科にも全く同じことが言えると思います。

(スタッフ・かずま)


ルールをすぐに変えられる。

  • 投稿日:2018年07月30日
  • カテゴリー:ブログ


7月はサマースクール期間があり、スクールへの入学を検討している子達が体験に来てくれました。スクールに泊まれる1週間ということで遠方からも来やすく、海外からも来られていました。

体験の子達が通う中で、今あるルールの問題点が見つかったので早速ミーティングに議題が上がり、普段スクールにいる生徒とスタッフに新しく来た体験の子が混ざって改善案を話し合うことがありました。サドベリーは普段通う生徒の子達だけの学校ではなく、新しい子達を募集している以上は一般に開かれた小さな社会でもあります。


そして学校という小さな社会は大元を辿れば、生徒である子ども達のために存在している社会であるはずです。新しい子が入ったり時が経って一人ひとりが変化していく中で、常に新たな人(価値観)を尊重できるように、サドベリーという小さな社会は自然と形を変えて柔軟に変化していきます。

この柔軟性、流動性が、直接民主制により運営されるサドベリーの良いところだと思います。今あるルールに問題があればすぐに話し合って改善していけるのです。


(スタッフ・かずま)