ブログ
News and Blog

ネタが浮かばないをネタにした11月後半のブログ

  • 投稿日:2019年11月29日
  • カテゴリー:ブログ

今月の後半からブログは、
広報担当だけでなくスクールの生徒スタッフみんなで、
分担制にすると決まりました。

今までは、二人の価値観しか発信できていなかったブログでしたが、
書く人が増えるので八ヶ岳サドベリースクールの価値観や、
どんな考えをしてる人達がいるのかとか、どんな活動をしているのかなど色々な事が前よりもハッキリと見えてくるとおもいます。

そしてそして、今月の後半のブログを誰が書くか決める日がやってくるわけでして、
まぁいつもどうりジャンケンで決めようかと、話が進むわけです。

と言いますのは、現在八ヶ岳サドベリースクールではジャンケンという機能が非常に多く働いておりまして、
全ミーティングの書記、議長、まぁぁみんなやりたくないわけですよ。

私もすごくやりたくない。
何故なら書紀はミーティングで話し合われた事を正確に書いていかなければなりませんし、
なんせ書きながら議題の意味を理解して、
その議題について考えながら書き、ながら意見があったら言うという全部が書記をしながら、、、
になってしまいますので、
非常に疲れる。そして非常に時間を食う。
そりゃやりたくなくなるわけですよ。

こんな作業を自ら率先して楽しくやれる方がもしもいたならば、きっとそのお方は人間界の魂を持たないお方なのであろうとしか思えません。

ここまで言うと皆書記を嫌々やっているのか?思われてしまうので一応メリットも言っていきます。
聞きながら書く能力は身に付くし書いてる最中に漢字を調べたりするので難しい漢字を覚えれたりすることもあります。

議長は書記ほど大変では無いです。
議題の決をとる時、
誰かが発言したい時や
議題からまったく逸れた話になった時に元に戻すのも議長の役目です。
交通整備係みたいなものです。
ここまでは別にとても大変では無いです。
が、この後議長チェックという議事録に書記がちゃんと話し合われた事どうりにかけているかをチェックしなくてはならないのです。
これは書記が議事録を書き終わるまで待つという時間のロスがかなりある。
しかも書紀はミーティングが終わった後も30分ぐらい書き続ける事もあります。
そうなると議長はその30分間のいつでもチェックができるように時間を空けなくてはいけない。その30分の間に第五人格3回は行ける。

これもここまで言うとマイナスのイメージしかないのでメリットを言っておきます。
議長をやることによって皆の意見を効率よくまとめて話を進めていくので断言はできないですがリーダーシップのようなものは身に付くのではないでしょうか。

でもみんなやりたくないしか言ってなかったら何も進まないということで、
もうジャンケンで決めようじゃないかとなりました。

そしてジャンケンで負けた私は今ブログを書いている。

今まで広報担当しかブログをあげていなかったから広報担当だけでなくみんなで書いた方が良いと話が進んでジャンケンをした結果、広報担当が負けるという。

そして私は文を書くのが非常に苦手なものですから
まぁまずネタが浮かばないわけですよ。そしてネタが浮かばないものですから1文字も書けない。
そしてどんどん締め切りの日が近づいてテンパる私、本当にテンパってました。

だって締め切り前日まで何も書く事が思いつかないわけですよ、そりゃあテンパるって。

最悪の場合、僕の手足くんたちは何故ここまで気持ち悪いぐらいに細くて長いのかをひたすら語る文にしようかなとも思ったぐらいですから。

そして前日になってもうネタがない事をネタにしようという超天才的な閃きをし今この文を書いています。必死に、、、

今、ここまで書いて思っていることは、
「ホッこんなネタがないというネタだけでこんな長い文かけてよかった〜もう一つの記事としては成り立つぐらいの長さになったんじゃね?よかった〜」
なのでそろそろ終わりにします。
だって書く事がもう思いつかなくなってきたから。

このブログを書いて思った事は、
無理してまで大変な事を引き受けないってことと
助けを借りる事は、全く恥ずかしいことでもないし悪いことではないということ。
例えジャンケンで負けたとしても今回はネタが思いつかないので誰か代わってもらえない?と頼むとか、何かいいネタない?と聞くとか。

とにかく自分が少しでもきつい辛い大変だったら人をたよっていいと思います。
今まで僕は人に頼るのはみっともないことで迷惑をかけると思っていました。
でも意外と助けてと言ってみるとみんな手を貸してくれます。
イチローだって調子の悪い時は自分からSOSを出して色々な人に手を貸してもらっていたそうです。

とにかく助けを求める事は悪い事じゃないという事に気づきました。


「スクールとして」の意識。

  • 投稿日:2019年11月18日
  • カテゴリー:ブログ


11月前半のブログです。スタッフかずまが書きます。(Facebookの五郎です)

ここ最近、スクールのミーティングや日常で話し合っていることから、「スクールとして」の意識を考えることがとても多いです。

今年度の始め頃に「ゲームばかりしてる学校」と噂が流れていることを聞いて話し合ったときには、スクールがそう言われてどう思う?と聞かれても、生徒のみんなは「どちらかというと嫌かな」という感じでした。

そもそも学校運営をしたいかどうかを話し合ったり、スクールが無くなったらどう思いますか?とアンケートをとったりもしました。

最近の見学を受け入れるかどうかの話し合いでは、「スクールがこう思われるのは嫌だし困る。こうした方が良いと思う。」と、ハッキリした意見が出るようになったと感じています。

今まで見学者の議題が出ても、みんな基本的に誰でもOKなので移譲となっていましたが、最近話し合ってできたルール「見学の申し込みがあったときに、その日スクールに来ている人全員でメリットとデメリットを考えてメリットが上回ったら受け入れる」があるので、見学の申し込みがある度に申し込み文を読んで、スクールとして受け入れていいかどうかをみんなで話し合っています。


ミーティングで議長と書記を決めるときも、「自分はやりたくない」と言うだけでなく、誰がやるかを決める話し合いをしよう、という話し合いを重ねて、「どうやって決める?やりたい人いる?」と他の人のことも考えた話が当たり前になってきていると思います。

一人一人がどうしたいと思っているかを話し合いながら、色々な意見はあるけど、「スクールとしてはこうする」という判断を日々行っています。


好きなことをして自由に過ごすと共に、責任を取るとはどういうことなのか考えたり、赤字の現状をふまえて補正予算を話し合ったり、スクールをどうやって広めるか(ポスター作成、新しいイベント)を考えたり、今いる構成員でスクールをどんな風にクリエイトしていくかを色々な視点から話し合っている最近のスクールです。

 

 


10月後半のブログのはずでした。

  • 投稿日:2019年11月12日
  • カテゴリー:ブログ

 


10月後半に上げようと思っていましたが体調不良になってしまったため遅れてしまいました。

生徒が書きます。

10月19日はスクール総会の日でした。
現在スクールはこのまま3月まで行くと260万円以上の赤字という大変not so good状況なので
そのことについてスクール構成員で話し合いが行われました。

今年の予算が生徒が5人増えたら帳尻の合うように組まれていて、しかも去年生徒が五人増えたデータがあるわけでもないのに誰も反対することなくその予算が通ってしまっていました。
僕はこれはデモクラティックスクールの難しいところかなと思っていて

デモクラティックスクールは一人一人が対等なので生徒(子供)だから大人がやってくれるとかが全くない。

つまりレールも道もない大草原に立っていて自分で一からレールを引かないと何も進まないし何も起きない、しかもそこから動かないとどんどんお腹は空いていくし喉も乾いてきて、しまいには脱水症状で死んでしまうなんてこと全然ありえます。

今回は生徒がスクール運営に対する意識が薄かった。のとスタッフが赤字になっていることに危機感を感じてなかった
ので、生徒はあまり意識してなかったから予算をちゃんと理解してなくて、スタッフは危機感を感じてなかったから生徒にヤバいよとも言えてなかった。(僕なんてこんなにやばい赤字になってると気付いたのは先月ぐらいです)

だから誰かが動いたから自分も動く、誰かがやるならやるけど自分からはやるのはめんどくさいからいいや。だと何も始まらないしどんどん赤字は増えていってしまいにはスクールがつぶれるなんてことも全然起きてもおかしくないと思います。


そして最近やっと、ああどうしようってなって僕も含めみんなの意識がだいぶ運営のことやスクールの事に向いてきたと思います。

その結果とまでは言えないですが、今この260万の赤字をどうにかするために対策案を話し合ったりして今はまず生徒を増やさないと赤字は減らないのでポスターでスクールを宣伝する企画を立てたり、

スタッフの給料が月給で長期休暇がある月も無い月も同じ金額が出ていて、時給換算すると働いてない分ももらっていることになるので返金してもらったり、

他にはミーティング外での案で寄付もあったけどまだこの話は進んでなくて、、、

色々と考えてどうにかこの260万という巨大な岩を少しづつ削っていってできる限り赤字を減らすことを目指しています。

 

 

 

 

 

 


生徒もスクール運営に参加します

  • 投稿日:2019年10月28日
  • カテゴリー:ブログ


ちょっと遅めの10月前半のブログです。本当は18日に更新するはずだった生徒の僕、下校手段として自転車を選びクッソ寒いほぼ上りの山道を1時間半ほど漕いで大量の汗をかいたためそのあと1週間当然の結果になりました。風邪ひきました。

八ヶ岳サドベリースクールでは生徒スタッフ保護者を構成員として考えているので生徒、スタッフ、保護者でスクール運営を行います。僕は他の学校に詳しいわけではないですが、ほとんど運営に関してはスタッフ(大人)が決めて行ってるイメージがあります。少なくとも『生徒、スタッフ、保護者』が運営をしていると感じれる学校は今のところまだ見たことがありません。

そもそも何で生徒、スタッフ、保護者が構成員になったかというと、八ヶ岳サドベリースクールは別名デモクラティックスクールと言います。

デモクラティックの意味がわかんない方へ⋯https://ja.wikipedia.org/wiki/民主主義

Wikipediaでは

『「デモクラシー」(democracy)の語源は古代ギリシア語のδημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)で、「人民・民衆・大衆」などを意味するδῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味するκράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」、「国民主権」などの意味である[9]。この用語は、同様に「優れた人」を意味するἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)とκράτος を組み合わせたἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía、アリストクラティア。優れた人による権力・支配、貴族制や寡頭制)との対比で使用され、権力者や支配者が構成員の一部であるか全員であるかを対比した用語である。

古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになった。古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止し、元老院と市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。

近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であった[10]。近代の啓蒙主義以降は、「デモクラシー主義」は自由主義思想の用語として使われるようになった(自由民主制主義)。更にフランス革命後は君主制・貴族制・神政政治などとの対比で、20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主制(の政体)の総称は「権威主義制(権威主義制政体)」と呼ばれる。

日本語で「デモクラシー」は通常、主に政体を指す場合は「民主政」、主に制度を指す場合は「民主制」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳し分けられている。なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「デモクラティズム」(英: democratism、民主主義(思想))が使用される場合もある。

なお現代ギリシャ語ではδημοκρατία(ディモクラティア)は「民主主義」を表すと同時に「共和国(共和制)」を表す語でもあり、国名の「~共和国」と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。

民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。

古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配、自由、自治、法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義や経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。

民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦は総力戦となり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国などでは帝政が終焉した[12]。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦のスターリン主義が加えられた[12]。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった[12]。こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家も自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、民主主義とは何かが曖昧ともなった[12]。

民主主義の種類は大別して、構成員が直接参加する直接民主主義と、構成員が代表を選出して代表が議論や意思決定を行う間接民主主義(代表制民主主義)があり、組織の規模や、意思決定の重要度などによって選択や組み合わせが行われている。直接民主主義的要素には、構成員全体による会議の他にイニシアティブ(住民発案、国民発案)、レファレンダム(住民投票、国民投票)、リコールなどがあり、間接民主主義の代表例には議会や大統領などがある。これらの制度は組織全体の統合機能を持つため、仮に形骸化した場合には統合機能が低下する。また自由な議論の前提には、言論の自由、少数派の尊重、情報公開なども必要とされる。

民主主義を実現するための制度にはその組織や国の歴史的経緯などにより、議会主義による議院内閣制、二元代表制による大統領制、あるいはその組み合わせ(半大統領制)などがある。また権力による独裁を防ぐための三権分立など各種の権力分立がある。また現代の大衆社会では政党、圧力団体、マスメディアなどの役割や影響力も増加した。』

と書いてあったのでまず構成員とは誰なのかを考えまず生徒とスタッフは少なくともスクール構成員だろう。となりそして他に構成員はいるか考えた時に近所の人も構成員スクールに関わっているのではないかという話になりましたが、いやそれは行き過ぎだろwとなりました。そして僕は今年になるまで気づけてなかったのですが、保護者も構成員の一員じゃないかという話が出てになりそれまでは、スクール内で保護者が子供と対等に関わるのは難しいと思っていたのであまり保護者は関わらない方がいいと思っていたけど学費を払ってくれているのに運営に関われないのはおかしいのでは?ということで、結局構成員は生徒、スタッフ、保護者になりました。


話を戻すと生徒がスクール運営に参加できるのは八ヶ岳サドベリーの魅力であり、とても難しいところだと思います。難しいところは次回のブログで書きます。

社会に出る時に運営に責任を持つ事や予算を考える事を経験してると、とても強い武器になるとおもいます。

ほとんどの文字がウィキペディアのコピペになっていますが面白い内容なので全部読んで頂けると嬉しいです。


自由と責任。

  • 投稿日:2019年09月21日
  • カテゴリー:ブログ

スクール卒業生による撮影。構図が上手い。



最近スクール生徒の親御さんと話している中で、「自由と責任」に関する話題で、とても示唆に富んだエピソードがありました。

スクールに登校するかしないかを親子で家で話しているとき、生徒の子がスクールに行かなかった日に「行ったよ」と言っていた事があって、その親御さんは「別にスクールに行っても行かなくてもいいけど、嘘をつく人は信頼できない。行ってないのに行ったと言う必要はないよ。」という話をしたそうです。

それから、親御さんの考えを伺うと「サドベリーでは、どんな活動をするかは自由、ミーティングに参加するかも自由、その日登校するかも自由だけど、ちゃんと自分でジャッジするのが大事で、それが自立に繋がる。」というお考えでした。

短期留学中のミーティング。ペットボトル1本の出しっぱなしをきっかけに、納得いくまでとことん話し合います。



確かに、サドベリーは行けばどんな事でも自由に学べる環境ですが、公立校のように、行けば自動的にカリキュラムが与えられたり、登校することが良い方向に評価されるということは一切存在しませんし、そもそも行かなければならない場所でも、誰かに行きなさいと指示されて行く場所でもありません。

「自由に学ぶ」とは、好き勝手や自由奔放に過ごすのではなく、自分で責任を持つということです。ときには自分だけでなく周りの人のことも考えて、互いの自由を尊重し合う必要もあります。

短期留学中。それぞれがそれぞれの活動。



先生に言われた通りのことをやる、親に言われたから仕方なくやる、ではなく、自分で考え自分で決める。

「自分で考え自分で決める」を(それも子ども時代から)尊重されるのが、サドベリーの特長だと思います。

「誰かに決めてもらう方が楽だから、サドベリーの自由は厳しい。」という感想を持つ方もいますが、それでは何歳になっても、決めてくれる人を探さなければ動けません。それも一つの生き方で、否定されるものではないと思いますが、自分で責任を持って学んでいけるサドベリーでは、どうすれば良いかが定められていない中で、常に何事も自分で考え自分で決める経験を積み重ねていき、「自立する」ことが当たり前のように身に付いていくのです。

公園にみんなで出かけた日。



今回の記事の写真、1枚目と4枚目はスクール卒業生が撮ってくれたものです。フォトグラファーを目指すだけあって、構図が上手いし、良い表情を捉えているなと思います。

(スタッフ・かずま)

 


9月前半のブログ

  • 投稿日:2019年09月16日
  • カテゴリー:ブログ


こんにちは9月前半のブログです。生徒が書きます。

今月は短期留学が行われていますがあまり書くことが思いつかないので今日は僕の登校中に起きている色々な物語を書こうと思います。

朝9時、目が覚めた瞬間から僕の決闘は始まっていました。

「スクールに行きたい、でも寝たい、でもスクールに行きたい、でも眠い」

と、決闘を30分ほど続けてから結局喉が乾い水を飲むためにベットから出ます。

そして15分ぐらい風呂に入ってるつもりが30分たっててもう家を出る時間、鞄を持ち玄関に行き靴を履いたと同時に今日一番の決闘が始まるためかなりの気合を入れます。

ドアを開けると一面が鬱蒼としたジャングル、今にもクロコダイルとかジャガーとかタランチュラとかクッッッッッソでかいムカデとかアリの大群とかハリソンフォードとかが出てきそうな森です。そんなめちゃくちゃ物騒な森を怖いから全速力で走りながら30秒という長い道のりを通り過ぎたら中途半端な道路に出ます。どういう風に中途半端かと言うと道の広さが結構広いように見えて車二台が通り過ぎるのがギリギリ無理なぐらいのほんまに中途半端な広さです。

しかもよく車が通るので僕が歩いてて前と後ろから車が来ると大抵俺が通りすぎるのを待った後車が動き出すのですがごくまれに、俺が歩いてるのに止まらない意味わからん人がいるのでめっちゃ足ひかれそうになったりバックミラーが腕と衝突することがあります。

その道を抜けるとアシナガバチの縄張りに入ります。

一回刺されたことがあるのでその部分は超本気で走ります。

そして電車に乗り甲斐小泉でおります。ここからは別に過酷な道ではないのですがひとつだけとてつもなく恐ろしい場所があります。道の途中に前まで空き家があったのですがその家の窓から長い髪はボサボサで顔が細長くて鼻は高くて目は細くて赤く光ってる感じの女がいつもこっちを見ていました。そしてその家は廃墟となり瓦礫しか残っていない状況なのですがやっぱあの女の人がまだいてもののけ姫の祟り神の体に瓦礫が鎧となって俺に襲いかかってくるのではないかと恐れていつでも戦える準備をしながら歩いてスクールに到着します。帰る時はこの逆のパターンです。

以上

ちなみに今日の夜、誰も触ってないのにゴミ箱の蓋が大きく揺れてみんながめっちゃさわいでました。


多数決

  • 投稿日:2019年09月05日
  • カテゴリー:ブログ


こんにちは。

今回は生徒が書きます。

かなり遅れながらも8月後半のブログです。更新が遅れてしまった事大変申し訳ありません。

最近スクールで多数決に対しマイナスなイメージを持っている人が多いのではないかという話をしました。
確かに僕の周りにも多数決という手段を嫌う人は結構いる気がします。
そういう人たちがよく言っているのが少数派を尊重できてないとか、100人中51人票を入れれば決まってしまって残りの49人の意見は見捨てられるなど、少数派の、、が多い気がします。

確かに少数派はの意見は通らない多数決もあると思います。

例えばあるスクールに10人の生徒がいたとして9人は猫が大好きで1人は犬が大好きで猫アレルギーだったとします。猫好きの1人が猫を飼いたいという議題を出しました。
そこで多数決を行った結果9人は猫が好きだったので賛成、人は猫アレルギーの上に猫が嫌いなので反対をしました。しかし多数決なので猫を飼いたい人の方が多かったので結果猫を飼い少数派の子は猫アレルギーだけど猫を飼うことになり苦しむ事になるということもありえます。

なら多数決ではなくて、全員が賛成するまで決定にしなければいいのでは?となるかもしれませんが、全員の意見が完全に一致することなどないと思います。さっきの猫を飼うかの例でいうと、猫アレルギーの子がいるので猫は飼えないで終わってしましますよね。

じゃあ猫を飼いたい子は猫を飼えない=やりたい事をやれないとなってしまうと思います。

つまり誰かが反対すれば永遠に決まる事がないし何も進まないのでみんなやりたい事が満足にできないスクールになるのではないのでしょうか。


なので八ヶ岳サドベリースクールでは、1人1票で何かを決めるときには多数決とする。議長は多数決の前に他に意見がないかを確認し、意見が出尽くした時点で決をとる。というルールがあります。
そして相手の事を尊重するという理念があるので相手を尊重した上で決を取ります。

そうなるとさっきの猫アレルギーくんも苦しまなくて済むのではないでしょうか、相手を尊重している以上猫好き9人くんたちは猫アレルギーくんが苦しむ事を考えその事を無視できなくなります。尊重してるから。

でも逆に猫アレルギーくんも猫好き9人くんたちの意見を尊重するので飼わないという選択は難しいのではないのでしょうか、そこでじゃあどうするかを話し合います。答えはいくらでもあると思います。猫を飼う部屋を決めてアレルギーくんはその部屋に入らないルールを作るとか。
猫小屋を作りそこで飼い猫はスクール内に入れないとか。アレルギーくんが普段からほとんど使っていない部屋で猫を飼うとか。

何れにせよ誰かが困っていたり苦しんでいるのに勝手に進むこともありませんし、途中から困ったことが出てくればまた相談できると思います。

このように僕は多数決もやり方をちゃんとすればみんなが納得できる結果になるのではと思います。

 

 


サマースクール!

  • 投稿日:2019年08月15日
  • カテゴリー:ブログ


8月から施行の新ルール【デモクラティックスクールネットワークの教育理念の一つ、学校運営の参加について。八ヶ岳サドベリースクールでは、スクールミーティングと運営ミーティングに、生徒とスタッフは、緊急(体調不良、事故、冠婚葬祭)と例外を除き参加する。例外はデイリーミーティングで承認されたものに限る。】ですが、8月1日のスクールミーティングから効力を発揮、12時のミーティング開始時間には全生徒&スタッフがスクールで待機していましたが、議題が無かったのでミーティングは開催されず、それぞれの活動に散っていきました。

この日までに、例外を認めて欲しい人はデイリーミーティングで議題を上げて、承認を得る動きもありました。

・スクール夏休みの前後に用事を入れたいから欠席を認めて欲しい。

・自分が出たい議題だけ参加したいし、予定があって毎回スクールに来るのが難しいから例外にして欲しい。

いずれも意見と理由を説明して、ルールを作った経緯とスクールとしての「学校運営の参加」の定義を再確認。「ミーティングに参加しないことを自分だけで決めれるとなると、その人に出てもらいたい・意見を聞きたいときはどうするのか」「そのときは言ってくれたら意見したり参加したりする」「自分は毎回参加したいからするけど参加しない人がいても良い」と話し合った後、例外にして欲しいという意見を認める形になりました。

先週はサマースクールを開催して、たくさんの方がスクールを見学・体験に来てくれました。

みなさんは、「人狼ゲーム」をご存知でしょうか?

街に紛れ込んだ人狼を推理して探し当てていくゲームです。昼に話し合いで誰か一人を街から追放でき、すべての人狼を追放できたら市民チームの勝ち、人狼と市民の数が同じか人狼の方が多数になった時点で人狼チームの勝ちです。

夜はそれぞれが能力を発揮できます。市民を襲撃して一人ずつ追放できる人狼、誰か一人を占い人狼か否かがわかる占い師、誰か一人を人狼の襲撃から守ることができるボディーガード、昼に追放した人物が人狼だったか否かがわかる霊媒師、特殊能力を持たない市民、などがいます。


 

他にも、裏切り者(人狼チームに所属、占われると市民と出る)、狂信者(裏切り者の能力に加えて、人狼が誰かを知っている)、王子(人狼に襲撃されても一度だけ回避できる。自分では市民と思っていて、王子であることはゲームが終わるまでわからない)、恋人(人狼、市民、占い師等の役職を持った上で、さらに恋人が居ることが知らされる。ゲームが終わって2人が生き残っていれば、恋人チームの勝利)などを、毎回ゲームバランスを考えて役職や人数を調整しながらプレイしました。


この人狼ゲーム、スクールでは定期的に流行ることがあって、かなり慣れている生徒スタッフも多いです。今まではアプリを使ってプレイすることが多かったですが、今週はゲームマスターをやりたい生徒が一人で進行をやって、とても盛り上がっていました。

推理しながら自分も演技しなければいけない緊張感があり、人によっては疲れてきて連続してプレイできないほど、かなり頭を使う遊び。頭を使って考えるということが好きな人ほど、面白いと思います。

毎回誰がどの役職をやるかで、全く異なるゲーム展開が繰り広げられます。慣れている人や騙すのが上手いから勝てるかというと、逆に疑われやすくなったりもして、単純な話でもありません。参加する人のキャラクターにも非常に影響されるので、色んな人に声をかけていて、サマースクールで来ていた方達を次々に誘ってはルールを教えて参加してもらっていました。


絵しりとり(※正解をこの記事の一番下に書くので良かったら当ててみてください)。

絵が上手い人の絵は次の人にすぐ伝わりますが、そうでもない人の絵はかなり考察が必要になります。人狼ゲームと同じで、上手い人とそうでもない人がいて楽しめるという点では共通しているかもしれません。


サマースクールで体験に来てくれた子が、facebookの日々発信を担当して書いてくれました。

4月から「感想タイム」を導入して、スクール構成員(生徒スタッフ親御さん)以外の人がスクールに来た時は毎回感想を聞いていて、見学のご家族、体験入学するお子さん、スタッフ希望の方、短期留学参加者の方、体験ワークショップ参加者の方、一般見学の方、など、色々な視点からの貴重なフィードバックをもらえています。

また、スクールへの質問タイムにもなっていて、生徒に聞きたいことを聞かれる方が多いです。見学の方は、スクールでは自由に交流して頂けるので、生徒に質問があれば常に聞けるのですが、何かしら好きなことや必要な活動をしている生徒を見て「話しかけていいのかな?邪魔にならないかな?やめておこう」と思われる方が多いようで、コミュニケーションを取らずに帰られる場合もありました。

今の生徒に聞くと、(見学の人と)話してもいい、むしろ話したいと言う生徒がほとんどなので、実は誤解している場合もあるのですが、結果的にはこの感想タイムがあることで生徒とコミュニケーションを取れるようになって、見学の方にとっても良かったのではないかと思います。

(スタッフ・かずま)

※絵しりとりの正解。(左上から右へ、右端までいったら一段下がって左から右へ)

もも、モアイ、井戸、ドーナツ、積み木、北風、金魚すくい、胃、囲炉裏、リコーダー、団子、ゴルフ、ふくろう、ウルフ、ギロチン、残念ながらクリアはならず…

 

 


7月後半のブログ

  • 投稿日:2019年07月31日
  • カテゴリー:ブログ


今月後半のブログはこうすけが担当いたします。

最近晴れ雨をよく見かける気がします。

ちょうど「天気の子」という映画を見て空に焦点が合ってるからなのかもしれませんがちょくちょく「あ、また晴れ雨だ!」とよく思います。

梅雨の明けかけというのもあるのでしょうか?なんだか一昨日ぐらいから急激に気温が上がった気がします。皆さん体調は大丈夫ですか?


僕は昨日少し水分補給を怠っただけで、何度もあちらの世界の方達から手を差し伸べられてる気がしてなりませんでした。

皆さんもお体には気をつけてお過ごし下さい。

最近デモクラティックスクールに通う上で親はだいぶ大きいな存在だと思ってます。

というのも、昨日、人とこの話をしてだいぶ考えたのでお話ししてみようと思います。

人は、家族、いや親の影響を一番受けて育つのではないかと思います。

というのも、どんなにデモクラティックが完璧に成り立っているデモクラティックスクールに通っていたとしても、親の影響が絶対的にあると思うのでどんなに周りが対等に関わっていたとしても親が自律できてないと子供も自律できないのではと思います。

親の影響が大きい理由は僕は人間の本能なのではないかと思っています。

雛鳥が親鳥の飛び方を見て自然と飛び方を覚えていくのと同じで人も親の行動、思考に似るのではないかと思います。

なのでどんなにスクールが対等に関わり続けたとしても親が変わらない限り子供も変わることができないと言う考えになりました。

なら親の考えを変えればいいのではないか?という考えに進んだのですが

その親には親の親がいてそのまた親にも親の親の親がいてとまたその親にも親の親の親の親がいてと永遠に終わらないない事に気付きどうにか親が子供に対等に関われる術はないだろうかと考えていましたがなかなか答えが見つからずずっと考えていました。

そしたら昨日、スタッフの人がその事について

「考え続けるのが答えなんじゃないか?」と言っていていました。

僕なりに整理をした結果、もし答えに到達したとしてもまたその先には新たな答えがある、またその答えの先には答えがあって終着地点は無いという考えに至りました。

なのでとにかく考え続けているのがある意味答えなのかもしれないなーと思いました。

まだ考え続けています。


学校運営の参加。

  • 投稿日:2019年07月17日
  • カテゴリー:ブログ


前回のスクールミーティングで、重要なルールが決まったので、経緯を書きます。

八ヶ岳サドベリースクールが正会員として所属している、デモクラティックスクールネットワーク※通称デモクラネット(http://democratic-school.net/)の教育理念の一つである「学校運営の参加」について、スクールとしてどう考えるかを話し合いました。

※学校運営について、八ヶ岳のパンフレットには「スクール全体のことはみんなで話し合って決めます。」と書かれており、デモクラネットのパンフには「誰もが議決権を持っています。」と表記されています。

もし「みんなで話し合って決めます」なら、文字通り捉えると皆で話し合わなければならないので、皆はそれでいいのか、それに「個人の権利を尊重する」との兼ね合いはどう考えるのか(簡単に言えば、話し合いたくないのも尊重したら話し合えないけど、嫌々話し合っても尊重ができない矛盾がある)、等を話し合いました。

サマースクールどんな人が来るんだろう?とチェック。



デモクラティックスクールであるからには、デモクラティックでなければなりません。そこも確認しながら話を進めました。これに関しては、民主主義はとても広いので「集団の構成員がその集団の主権者であること」が満たされていればクリア、デモクラネットパンフの「誰もが議決権を持っている」でもクリア、学校運営の権利は持ちつつ面倒なことは大人や誰かに任せてもクリアだと共有しました。

ここで、デモクラティックスクールと言っても色々な手法が取れることがわかった上で、生徒の皆はどうしたいのか?を話した結果、参加していた全員が「学校運営をしたい、してもいい」と意見したので、「みんなで話し合って決める」の方向になり、次はそれをどのように実行するかの話に移ります。

最初は全ミーティングに全員参加する?という話が出ました。それもいいかもと言った人もいましたが、それほど重要ではない議題もあったり、休みたい日もあるということで、「何が学校運営なのか」を具体的に話し合います。現在のパンフレットに載っている「ルール、予算、学費、スタッフ人事」はそうだとして、他に「週1回のスクールミーティングで話し合っていること、構成員(生徒スタッフ親御さん)全体の運営ミーティングも学校運営に入ると思う。」と意見が出ました。

今、スクールミーティングと運営ミーティングで話し合っていることが学校運営なのであれば、それに皆が参加するルールを作る方向でまとまり、次は文章をどう決めるかの話に。「必ず参加する」という言葉を入れようと意見が出て、「いいと思う~」と言ったそばから必ずという言葉の意味を調べ、「例外を認めないという意味がある、それは嫌だ。」とまた考えます。このルールの対象は誰なのかも考えて、運営ミーティングに参加する親御さんは?という問いには「いや仕事してるから無理~!」と各生徒が揃って首を横に振りました。

気まぐれに活動したりしなかったり。



他にも「体調不良とかは仕方ないとして、緊急の場合はどうする?緊急で遊びたくなったとかはありなの?」「葬式とか色々のことなんて言うんだっけ?」「緊急の定義を決めておけばいいのでは」「奥田民生のライブに行きたい」「緊急以外にも、例外で認められたらOKにしたい」等と、一言一句の意味を詰めていく話し合いを経て、最終的にまとまったルールがこちらです。

以下原文==

「デモクラティックスクールネットワークの教育理念の一つ、学校運営の参加について。八ヶ岳サドベリースクールでは、スクールミーティングと運営ミーティングに、生徒とスタッフは、緊急(体調不良、事故、冠婚葬祭)と例外を除き参加する。例外はデイリーミーティングで承認されたものに限る。」

======

また、現在スクールにほとんど来ていなくて「将来(近い未来)行きたくなったときのために在籍している」と言っている生徒は例外でいいのではないか、その生徒は例外と決めておいて、本人にそれでいいか確認する。今回ミーティングに参加してない人に、ルール的には移譲とみなすけど、ルールが決まった後でも嫌なら言ってくれたらいいし変えることもできることを改めて共有したり、「毎回ミーティングに出やすくするようにミーティングの時間を変えたい。」と動いている生徒や、留学中の生徒が帰ってくる時期など、諸々のことを考えて、このルールを8月から開始にすることが決まりました。

====

あとがき

みなさんは「ルール」をどう捉えていますか?

ルールを縛る・縛られるものと思うと窮屈に感じるのかもしれませんが、スクールでは自分から動けばいつでもルールを作る発案ができますし、出来たルールに対してより良いと思う形を提案したり、要らないと思えば無くしたいと意見することもできます。誰かの発案、提案に対して、これは良いと思う、これは良くないと思う等、プラスもマイナスも含めて、様々な意見があることを経験できます。

今回も皆かなり真剣に話し合っていましたが、真剣さの中にも常に笑いや和みはありますし、個人的には「○○しなければならない」と囚われるような窮屈さや、雰囲気が暗くなるような深刻さは無いように感じています。どんな意見もないがしろにされず、対等に尊重されることで、この環境が成り立っているのです。(スタッフ・かずま)