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勉強をするのか?しないのか?

  • 投稿日:2017年09月11日
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八ヶ岳サドベリースクールには、一方的に決められた授業やテストがありません。その環境で「はたして勉強はするのですか?」という疑問を持たれる方もおられます。今回はそのことについて書きます。

まず結論から書きますが、「勉強するかしないかは生徒が決めます」の一言につきます。何をするのも何もしないのも自由ですから。

そもそも、国社数理英の教科学習こそが「勉強」であるという見方はとても狭義な意味での「勉強」ですし、「勉強」とは?「学習」とは何か?という論点もありますが、今回はそこには触れず、実際にどんな活動をしているのかを紹介していきます。「遊び」と「学び」を区分けして評価しないという考え方についての記事はコチラ→遊びたい!は学習意欲そのもの。

 

ある日の写真では、4人で机を囲んでいちごオーレを回し飲みしながら、ノートを開いてペンで何やら書いています。4人別々の何かをしていましたが、ある子は「英語が好きで、英検の上級を目指している」という動機だったり、他には「漢字が好きで書いている」「文字を綺麗に書けるようになりたい」など、様々な動機があります。ハマっているときは何時間でも続けて勉強をしていますし、やらないときは何年経ってもやらないで、そのまま卒業する子もいます。

サドベリーの卒業生やOBには、専門学校や大学に進学する子や、海外で働きたいとの思いから在学中からスクールで英会話のリスニングを受けたり独学で受験勉強をしながら高卒認定試験に合格して、海外の大学へ進学した子もいます。その一方で、教科学習という意味での勉強を一切せずにサドベリーを卒業して、社会人になって働いている子もいます。

ここで一つ分かることは、教科学習という意味での勉強をしていた子もしなかった子も、何ら問題なく社会に出ているということです。たとえ社会に出てから「勉強した意味が無かった」「もっと勉強しとけば良かった」と思うときがあっても、自分で自由に選択した結果なので文句を言ったりはしないでしょう。

勉強が自分にとって必要な経験を積むための一つの手段であることは、大人も子どもも同じです。そこで、小さい頃から自分にとって必要な経験が何か?ということを日々自分で考えて、自由に学んでいるのがサドベリースクールの生徒の子達なのです。

 

 

(スタッフ・かずま)

 

 


取材を引き受けるべきか否か。

  • 投稿日:2017年08月30日
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先日、スクール宛にとあるインタビュー取材のお話がありました。生徒、スタッフ、保護者の声を聞きたいという依頼です。サドベリーはまだまだ認知度は低いですが、面白い学校だと注目される方も増えてきつつあるので、一般の個人や企業からの取材であったり、学生さんが研究しに来られたりすることがあります。

サドベリーは「子ども達による学校運営」で日々営まれているので、取材を引き受けるかどうか自体も子ども達と雇われたスタッフで決めていきます。今回の取材は編集権の関係で記事を公開される前にスクールの皆で確認したり訂正することができないことが分かり、それも含めてどうするのかを広報に関する議題を扱う運営ミーティングで話し合いました。

ミーティングでは色々な可能性が考えられて、取材をされることでスクールの名前を広めることができるのはとても大きなメリットですが、誤った解釈で一般の方に広まられても本来の目的とは異なってしまう場合があります。ここで大人の都合だからと「なぁなぁにしない」のがサドベリー。ミーティングの議長をしていた子がMyパソコンで即座に「編集権とは?」を調べて考えます。

ある程度調べて周りの子にも伝え理解していく中で、取材を引き受ける時点で、ある意味「誤って伝わる可能性」はゼロにはならないから、それなりの覚悟ができるかどうかだよね。という話になりました。そもそも、このブログだって、「誤って伝わる可能性」はあり得ます。

ただ、その可能性をできる限り無くす努力をしようということで、インタビュー・編集をされる方には「サドベリーのことをきちんと理解した上で書いて下さい。」とお伝えする条件で、ありがたく取材を引き受けることになりました。

日頃のごみを捨てるべきか否かという細かな話し合いから、スタッフの任免を子ども達で考えたり、学校の年間予算についてやイベントの参加費など、数多の話し合いを繰り返しているサドベリーでは、自分達の自由な社会を創るために必要な「学校を自分達で自治する」という経験を自然と積み重ねているのです。

 

 

(スタッフ・かずま)


久しぶりに会ったのに、昨日も会っていたような…

  • 投稿日:2017年08月24日
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スクールは今日から夏休み明け。朝早くから続々と子ども達が登校してきています。

ディズニーランドやプールに遊びに行ったり、買い物したり旅行したり、家でゴロゴロしたり、それぞれに楽しんでいたみたいですが、比較的短めである2週間の夏休みでも「休みが長かった」と言う子もいました。また、休みの日を一日間違えて、昨日の朝スクールに来ていた子が何人もいたそう。笑

子ども達が来たくて来ている学校はいいなとあらためて思いました。

 

都会に出てきた大人の人が故郷の友人に会って「久しぶりに会ったはずなのに、昨日の続きのような感覚で話せて安心する。」みたいな話を聞きますが、サドベリーの子ども達の関係性はこんな感じに見えます。

もちろん全員と仲が良いわけはないですが、これは「空気を読んで会話する」「仲良くしていることを演じる」必要がないからだと思います。みんなと仲良くしたい子は積極的に関わり、一人で集中したい子はまったく誰とも会話をしないときもあります。自分の必要に応じて関係を作る、とても自然で無理のない人間関係がサドベリーにはあります。

 

もう一つサドベリーの特徴として、形式ばった「自己紹介をしない」というものがあります。大人であれば初対面の人と、名前や仕事、出身地や経歴の話から、気が合う友達になったりしていくことがあると思います。まずは外面からなイメージですね。

サドベリーの生徒の子達はまず一緒に遊んで相手を知っていくことが多いように思います。遊び合うことで相手の中身を理解したり価値観を共有するということを自然とやっていると思います。最初は遊ぶことが目的であっても、その途中で名前を聞く必要が出てきたら聞くので、遊んでる途中に「あれ、名前なんだっけ?」と聞いているシーンを見かけることもしばしば。

空気を読むか読まないかを自分で決める日々の積み重ねから、社会に出ても、目の前の相手と本音で話すことや、自己主張(表現)ができるようになっていくのではないかと思います。

 

 

 

(スタッフ・かずま)


多数決をすることが民主主義?

  • 投稿日:2017年07月28日
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最近のミーティングで、多数決の在り方についての話し合いが出たときの様子を紹介します。

これまでのスクールのルールでは「生徒とスタッフが一人一票を持ち、何かを決めるときは多数決で決める。」と決まっていましたが、これだけでは不十分ではないか?との提案があり、改善案を話し合いました。

 

まず一つ目は、「色んな価値観や意見を持つ人がいる中で、出したい意見を出せない可能性がある」という問題です。多数決で決めるとしか決まっていないのでミーティングが進んでいくにつれて、話し合いが不十分な段階で早めに多数決を決行してしまうリスクがあるのです。これについては「意見が出し尽くされた時点で決を採れる」と決まりました。これにより多数決の前には議長が必ず「他に意見はないですか?」と確認するステップを経ることで「参加者全員が多数決に同意した状態」で決が採れます。

次に、「反対する人は必ず意見と理由を言う」ということも決まりました。これは話し合いがまとまって決を採る段階で理由もなく反対をされてミーティングが混乱することを避けるためです。「意見や理由を言いたくない人もいるのでは?」という意見もありましたが、スクール入学の条件の一つに「自分の気持ちが話せること」があるので、「自分の意見を言うのは自分の責任」というところでまとまりました。

 

他にも「そもそも、多数決がよくないんじゃないか?」「それは議題とは別のことだから改めて議題を出せばいいよね」との意見が出たり、「意見を出すだけでは理由を言わなくていいことになるから、(たとえば「僕はこのペンを使いたい」は意見だけど、ペンを使いたい理由は言わなくていいということになる。)理由も言うことを決めるべき。」という細かいところを突く子がいたり。

「誰かの議題に賛成・反対という多数決(過半数で承認)の場合と、A案B案C案などの三択多数決の場合ではまた異なるのではないか?」との意見からやはり「すべての多数決において事前に参加者全員の同意が必要」と決まったり。

このように、細かいところまで徹底的に話し合うのでミーティングが長くなるときもありますが、その議題に興味がある子は集中して参加していて、逆に興味がない子は一切参加せずに自分の活動を楽しんでいます。「一人一票を持っている」ことが大事で、その権利を行使するかしないかは完全に個人の自由です。出ない人は委任とみなされて決定に従う義務があります。これが自由と比例する責任です。

 

これまでのミーティングで多数決が強行されたり、理由もなく反対されて混乱した例があるわけではなかったのですが、ルールをより細かく明文化することで、今後もそのとき集まった人による決定の差が出ずに整合性がとれると思います。

個人的には、民主主義とは「単なる多数決」ではなく「少数派を救うべきもの」でもなく、個人個人が対等な責任を持つその先に「どんな意見や価値観も排除されない個人の自由と権利を守るように努めるべきもの」だと思っています。その「在り方」には正解はありません。常にこれがいいのか?と考えながら最善を尽くし続けていくことで、将来的にも民主主義の文化が保たれる素地が積み上げられていくのだと思います。

 

(スタッフ・かずま)

 

 


「スタッフの給料を上げるべき!」と言う生徒と、「生徒の活動費を上げるべき!」と言うスタッフ。

  • 投稿日:2017年07月20日
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今回は、日常の会話の中で出てきたやり取りを紹介します。サドベリースクールでは、スクールの年間予算をどうするか、今年はどのスタッフを雇うか等、生徒がすべての話し合いに参加する権利を持ちながら運営が行われています。

話し合いの内容もフルオープンで今年度の予算書も公表されているのですが、ある日一人の子が予算書を見て「スタッフの給料少なすぎるでしょ!食べていけんの!?」という意見から、スクールの年間予算の話になりました。補足をすると、年度途中でスクールに入った子なので今年度の予算を決める話し合いには出れていない子です。

今回はミーティングの場ではなく普通に会話していただけなので、スクール公式な検討には至っていません。「もっと高くするべきだと思うからミーティングで提案したい」と言っていましたが、年間予算を決めるのは年度末のことです。本当にミーティングに提案するのかは分かりません。

現在スタッフ給与は月額20万円(額面)なので、確かに一般の社会人の平均からすると低めかもしれません。ただ、この子と話していたスタッフは逆に生徒の活動費を最優先に上げるべきという意見を持っていて、毎年より高い活動費の金額を提案しています。(2017年度の生徒活動費は約80万円ほどです。※生徒活動費とは:生徒が自分の学び(例、好きなマンガを買いたい、パソコンを買いたい、英会話の先生の講師料、プールの入場料、遠足に行く交通費等)に使えるお金のことです。)

逆に、スタッフがもっと高い給与を要求することもできますし、生徒が自分達の活動費を上げる提案やスクール広報にいくらお金をかけるのか等色んな意見が出ます。何が正しい間違いはないですが、「スタッフが仕事を頑張っているから」「(スタッフも生徒も)自分だけがお金を得たいから」等の感情論だけで単純に上げ下げできるものでもありません。スクールの発展と共に収入と支出のバランスを考えながら、毎年改善を加えつつちょうど良いラインを決めていきます。どんな意見を持つのも持たないのも自由で、本当に変えたければミーティングで提案することができるのです。

 

あとがき:個人的には、予算は全体のバランスを取るのはもちろんのことですが、生徒を優先しすぎてスタッフが犠牲になるのはよくないけど、本来学校は生徒のために存在するはずなので、スタッフが無理なく生活していける範囲を保ちつつ、やはり生徒を最優先に考えるべきだと思うのです。果たして来年度の予算を決めるときにスタッフの給料を上げる提案が出るのでしょうか…

(スタッフ・かずま)

 


自然の中のスクール。

  • 投稿日:2017年07月10日
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八ヶ岳の夏は辺り一面に緑が生茂って、山も川も非常に自然豊かなものがあります。自然の中にスクールがあることが八ヶ岳サドベリースクールの大きな特徴ですが、一概に「自然は子どもに善い」という訳でもありません。今回は自然の中のスクールであることの、メリットとデメリットをお話します。

自然の中のスクールは、「空気がきれいで気持ちがいい、近郊には山や森や川など自然がいっぱい、自然から採れる新鮮な食材が豊富、校舎が広くて開放感がある、周りを気にせず音楽をしたい子は大きな音を出せたり、敷地内でBBQや焚き火や花火もできる…」等々。

一見良いことづくめのようですが、都会のように人の豊富さや色んな施設が身近にあるというメリットはありません。たとえば、何か専門的な知識や技術を学びたいとなったら、学べる先生のところへ行ったり講師として招聘するとき等のアクセスは絶対的に都会が有利です。ちょっとした買い物だったり遊びに行くのも電車やバスを使えば子どもの足でもどこへでも動ける街中に対して、田舎は車がないと足が伸ばせない地域も少なくありません。

 

このように条件が違うだけで、一概に善いとは言えないことが分かります。

サドベリーはこれらの色んな条件を踏まえて、入学することを選ぶのは子ども本人です。自然が好きな子や街中が好きな子がいたり、自然がある場所に身を置きつつゲームをやりたい子や街中を日常拠点にしながら山登りをしたい子がいたり。それに、どこに住むのかは家族全体に関わることですし、メリットデメリットを考えながら総合的に(または直感で)決めていくことになります。今は子どもの学校のために、家族全体で真剣に考えて八ヶ岳まで引っ越してくるご家族も少なくありません。

 

個人的には、生かすも殺すも自由なので、自然の中でも街中でもどちらでもいいと思います。八ヶ岳サドベリーでは自然を活かして色々な自然体験をしていく子がいる一方で、ずーっと校舎の部屋にこもってパソコンをしたり勉強をしている子もいます。「せっかく自然の中なんだから自然を活かすのが善い」とも決めつけられません。

人と人、価値観と価値観の「違い」には一方的な善し悪しを付けられるものではなく、田舎なら田舎なりの暮らし方を学べるし、街中なら街中なりの暮らし方を学べるということなのです。

 

(スタッフ・かずま)

 

 


「活動費」というシステム

  • 投稿日:2017年06月12日
  • カテゴリー:ブログ

 

今回は、八ヶ岳サドベリースクール独自のシステムの一端をご紹介します。

スクールができて最初は「ミーティング」や「ルール」といったシステムがなく、ゼロから生徒とスタッフで話し合って作っていくのがサドベリー。日々作られては変えられ、そぐわないものは消されていくのが常ですが、八ヶ岳サドベリーの2016年度からは「活動費」というシステムを導入しています。

簡単にいうと、「生徒が自分の学びのために自由に使える予算」です。TVゲームで遊び尽くしたい、数学の専門書を購入して学びたい、皆でプールに行って遊びたい、ネイティブの人を講師に呼んで英会話を習いたい、等、サドベリーではどんな活動も同じく価値があるものとして扱われるので、何に活動費を使うかに制限はないです。八ヶ岳の活動費は年間80万円ほどあるので、理論上は一人で何かやりたいことのために活動費の全額を使うことも可能です。

ただし、「自由に使える」という言葉は一見とても素敵に見えるかもしれませんが、そう甘くないのが実情です。「一人の自由は、もう一人の自由と遭遇した時点で終わる。」という言葉もあります。

 

活動費を使うためには、「プロジェクト」を企画してミーティングに出す必要があります。ゲームをしたいにしても英会話をしたいにしても、なぜそれがやりたいのか、どんな学びがあるのか、お金を使う価値・必要性はあるのか、実行にあたっての計画性、などなど、スクールミーティングで公正に審査されます。

しかし、そうして「ミーティング」で審査されることが、あらゆる学びの質を高める効果もあります。予め計画性も必要ですし、行き当たりばったりでは却下されてしまうかもしれませんから、やりたい活動にどんな意味や学びがあるのか、自分がなぜそれをやりたいのか?と、自分自身で考える必要が出てきます。

また、「活動費を使った後はミーティングで報告する」というルールがあるので、ミーティングでプレゼンした内容通りに企画が遂行できたのか、変更点や問題点があったかどうか、実際にやってみて本当に学びはあったのか、などの報告もまたミーティングで審査されます。最初にプレゼンで言っていたことをやっていなければ、次回同じことをプレゼンしたとしても、前回言ってたことやらなかったよね?となるのは自然です。

 

サドベリーは常に試行錯誤の日々ですが、当然この活動費を使って活動するのが偉いということもありませんし、やりたいんだからやらせてあげようということもありません。ニュートラルなスクールミーティングの場でジャッジされることが全てなのです。最近では、釣りに行きたい、スキーを習いたい、温泉巡りをしたい、みんなで旅行をしたい、等の企画もありましたが、今後どんなプロジェクトが出てくるのでしょうか。

 

(スタッフ・かずま)


流動的かつ不変的。

  • 投稿日:2017年06月02日
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去年から引き続き好評の短期留学(寮付き)3期が終了しました。

今回は一般の子に加えて、デモクラティックスクールまっくろくろすけ、西宮サドベリースクール、三河サドベリースクール・シードームからも生徒が参加しており、留学生は毎日のことには責任を持てないので議決権はないのですが、ミーティングが好きな子はほとんどの会に参加して意見を出していました。

 

いつもは生徒が10人前後の八ヶ岳サドベリーですが、外部から来た10人を加えるとかなりの大人数となり、前のブログでも書いた通り人が増えると守られるべき自由の数が増えるので、自然とルールが作られていきます。

 

またひとつ、「大きなお金を使うミーティングは週に1回とする。」というルールが決まりました。今までは朝と夕方のミーティングで1日2回無制限に活動費を使うことができました。言い換えれば、何十万円もの予算を週に10回使える可能性があったのです。これにより、いつでも大きなお金を使えるというメリットは減少しますが、お金を使うときは予め計画性を持つ必要が出てくるので、企画をより精査してからミーティングに出せたり、その週1回のミーティングに出ていれば大きなお金を取り扱う議決にはもれなく参加できるというメリットができました。

このように、問題が起きたり必要だと思った人がいたら、形に囚われずにいつでもルールを作ったり変えたりなくすことができる流動性がサドベリーの特徴です。そして、この流動性のベースにあるのは、誰からのどんな議題であっても公正な場で善悪を付けずに話し合うことができるフラットなミーティングであり、子どもを100%信頼してこそ成り立つ普遍性こそサドベリーの大きな特徴であるのです。

 


 

あとがき:短期留学の終盤、チェーンソーで丸太を切り、斧で薪割り。育ちざかりの男子たちが謎に盛り上がり、長い時間をかけて大量に薪を作っていました。スクールの環境整備担当の僕としては、願ってもないことです。

 

(スタッフ・かずま)

 


ルールは縛られるためにではなく、自由を守るためにある。

  • 投稿日:2017年05月29日
  • カテゴリー:ブログ


 

短期留学中は普段よりも生徒が多く賑やかです。人が増えると必然と増えるのがルールです。一人ひとりの価値観が違うので人が増えれば価値観の数も増えます。個人の価値観が最大限に尊重されるサドベリーでは、守られるべき自由の数が増えているということです。

 

先日も、「校舎内でのボール遊びは危ないと思った人がいたらやめる。」というルールができました。室内でドッヂボールをしていて衣装ケースにボールが当たって割れたことが発端で話し合われてできたルールです。再発をどのように防ぐかという観点から、ボール遊び自体を禁止にするという選択もできしたが、細かく分けると様々なボール遊びがあって一つ一つのボール遊びのすべてにラインを引くことまではできないし、危なくないボール遊びも多々存在することが話し合っているうちに分かってきて、危ないか危なくないかは自分達で判断できるという前提のもと、このように決まりました。

 

ちなみに、ルールは生徒みんなが見えるところに貼り出されており、ミーティングノートもみんながいつでも確認できるところに置いてありますが、全員が全てのルールを記憶しているわけでも全ての決定を常に頭に入れているわけでもなく、自分から聞かなくても誰かが常に説明してくれるわけではありません。どこまでどのように知って理解して民主的な学校運営に参画していくのかも本人しだいなのです。

場合によっては、「この決定や新しいルールの緊急性や必要性の高さに応じてミーティングに出ていない全員に通達する。」と決定されたりミーティングの議題に関係している人がその場に招集されることもあります。

 

他にも困ったことがあると随時ルールは作られていきます。最近では「ハチが入ってきて危ないのでドアは開けっぱなしにしない。」「炊飯器の中にしゃもじを入れっぱなしにしたりジャーに立てかけたりしない。」等。ハチが入ってきて危なかったり、しゃもじが炊飯器の熱で溶けてしまったり、問題が発生したその都度解決策を話し合います。

ルールはその問題行動を制御・禁止するためのものではなく、自由と権利が侵害される恐れを回避するためのもので、自分達の自由を如何にして守るかということなのです。

 

(スタッフ・かずま)

 

 


遊びたい!は学習意欲そのもの。

  • 投稿日:2017年05月15日
  • カテゴリー:ブログ

 

先日新しく入学したい子が「サドベリーに入学したい。遊びたいから。」という希望をスクールミーティングに出していました。もっと具体的に聞かせてほしい、サドベリーのことを理解しているのかどうか、家ではなくサドベリーでなくてはならないのは何故か、等の質疑応答の末に承認されましたが、今回は子どもが遊びたい!と思うことについて少し掘り下げて書きます。

 

遊びたい!と思うことは、算数をやりたい!国語をやりたい!と思うのと全く同じことです。料理をしたい、スポーツをしたい、ただボーッと何か考えていたい等、何でもそうですが、今自分が最も興味があることに取り組んでいたり、やりながら立ち止まりながらそれが何なのか考えているのです。上手くいくときもいかないときも含めて、経験すべてが学びなんです。

「学習」「勉強」という言葉からは小中学校で習うような教科の学習をイメージしがちですが、例えば、TVゲームが楽しくてずっとしていて本人は遊んでいると思っていたことが将来クリエイターの仕事をすることになって知らないうちに学びになっていたことに気付いたとか、漢字が好きすぎて本人は楽しいだけでやってるつもりが周りから見ればとてもよく学習しているように見えるとか、みんなでサッカーをして遊んでいる中で楽しいからやっているだけの子がいたり本気でプロの選手になるために本人にとってはこれも勉強だと思っている子がいたり。。。子どもの数だけ学び方も多種多様です。

そもそも何が学びなのか学びでないのか、他人が定義や評価をすることはできませんし、本人のことは本人にしか分かりません。読み書き計算や礼儀やマナーなど、生きていく上で最低限必要なことは教えるべきではないか?と思われる方もおられますが、その人にとっての最低限もその人にしか分からないんです。

小さいうちからサドベリーに通っていて一度も公立の学校には行っていない子も増えてきています。その子達に話を聞いていてもサドベリーを出てから進学や就職をする上で学歴が問題になることはありませんし、日本人の大半の子が経験している小中学校を経験しないからといって何かが欠如しているなんてこともありません。

 

サドベリーは何歳だから何をしなければいけないということはないので、皆が何ができるかできないかは調べたこともないですがおそらくてんでばらばらです。

例えば、文字を読めないままに大人になるということも本人が望めばあり得ることですが、自分が読む必要がある思ったときに読めるようになるところは皆共通しています。他のこと、礼儀やマナー等も同じく生きていく上で自分にとって必要だと思ったら手にしていきます。

 

人は自ら学びたい・必要だと思ったときに最もよく学ぶものです。これは子どもだけでなく大人になっても同じように自分の夢を追いかけたり興味があることを深めたりはできるもので、人は何歳になっても死ぬまで学びの途上なのではないでしょうか。

 

(スタッフ・かずま)